MEET THE ROCK LEGEND

ちょうど1年前、MARK FARNER尊師のメッセンジャーをひと目見たいとクリーブランドまで旅に出たのですが、結局メッセンジャーには会えませんでした。ですがその代わりに神様は素敵な出会いと経験をたくさん与えてくれて、その中でもMARK POWERさんと出会えたのはほうんとうに最高の贈り物でした。

で。半年前、クリーブランドのお礼に日本を案内したる(英語はカタコトだが)と、日本文化をこよなく愛するマークさんを東京〜奈良〜京都と一週間ほどガイドしてあげる事ができて、そしたら今度は「エージの好きなアメリカの文化を案内したる」(日本語は全く話せないが)と、嬉しいお誘いをもらいまして。

で。行ってきました。ノコノコと。ひとり再びロサンゼルスへと。

格安航空券39800円(でも空港使用料やら“燃料代”やらでプラス3万円とられます。不当表示ぢゃないんかい)で、マークさんチに泊めてもらってジャンクフードで3食まかなうという、いわゆるビンボー旅行です。

前回はクリーブランドのロックンロール・オブ・フェーム(ロックの殿堂)と、マークさんが発掘してくれたWESTアンプを「お持ち帰り」というメニューでしたが、今回はマークさんが立ててくれた旅プランですので盛りだくさんでした。

あらためて、アメリカの生み出したロックという文化はやっぱりすごいな〜。と、それはそれは楽しい旅行でした。

以下、滞在日記です。


【2006年12月13日】

1年ぶりのロサンゼルス空港はトイレがキレイになってて、あの威圧感のある便器が子供でも使えるサイズの変わってました。( 子供用!?)
うんうん、この空港にもヒンパンに来てるし、俺も少しはオドオドしなくなった証拠だな。などと、またも旅はトイレへのニオイ付けから始まるのでした。犬か。

で、税関で入国目的を「友達に会いに来た」と、いかにも不審な申告しつつ(ここは「サイトシーン」と答える場面ですな)無事通過して、仕事を休んで迎えに来てくれたマークさんと感激の再会。

その足でマークさん宅にチェックインして、早速に再会を祝うジャムセッション大会が始まったのでした。

写真の通り、前回も書きましたがすんごいヴィンテージギターを次々とクローゼットからひっぱり出してのジャムなんで、緊張するやら、またもすぐに麻痺して弾きまくるやら、楽しい楽しい。
この写真に写ってる楽器だけで軽〜く 600万円オーバーです。


【2006年12月14日】

15日まではマークさんは仕事があるので、日中は放置プレイしてもらい、ロサンゼルス郊外の住宅地にひとりポツンと。
「好きなだけギターをひっぱり出して弾いてかまわないよ」と、日本ではありえないようなたくさんのオモチャを与えてもらったのですが、やっぱりちょっと恐いんで、自転車を借りて近くのショッピングセンター(といっても10kmくらい離れてる)へ行ってみようと。

で、物置から10年は使ってなさそうな自転車をひきずり出して、メンテして(アンプのメンテに近い。得意かも)、ついでに家の前の芝生の手入れもして、で。写真をパチリ。
この家がマークさんチです。

で、颯爽と自転車でこの美しい町並みを駆け抜けたワケですが、タマランものがありました。新聞を投げる配達の少年はどこだっ!とか日本語でつぶやきつつ。
いいなぁ、カリフォルニア。とか思った次の瞬間、ブツン。あれま、古いんでブレーキワイヤが切れてしまいました。
あまりにも空が青いので、そこはあわてず、日本語で騒がず、落ち着いて切れてないほうのブレーキレバーをそぉ〜っと触ったら、ブツン。


いやいやいや。まだレバーを触っただけで握ってないぞ。(←日本語。ちょっと大きい声、でちゃいました)
写真の通り、そのまんまツールドフランスの大会にエントリーできそうな自転車で、止まれんのか?と思うような幅2センチくらいしかない極細タイヤ(結果的に止まれなかったワケですが)で、調子こいてカッ飛んでたので、そりゃ焦りましたわ。アメリカ人ならここで「オーマイガッ」って言うんだな。とか、オレの場合は「オーマイマーク」か? いやそれじゃマークさんなのかMARK FARNER尊師なのかわからねえっ。とか、走馬灯のように脳裏を駆け抜けつつ、異常な猛スピードで住宅街を駆け抜ける日本人選手。
信号もないし車も居ないので何にもぶつからずに(それでも500メートル以上走って)なんとか無事停止しましたが、その間は「次の交差点でコンボイみたいな大型トラックが横から出てきて、オレはその下をすり抜けるのか!できるのか俺に?」とか、「最後はゴミ箱にドンガラガッシャーンって突っ込むんだな。で、記憶喪失になるにチガイナイ。」とか、そりゃもうパニクりました。
で、ショッピングセンターで欲しかったハモンドオルガンの本(図鑑)を見つけて、嬉しいのもつかの間、帰りはほとんど徒歩です。
やっとの思いで帰ってきて、遠くに見慣れたマークの家が見えてきたら、何を思ったのかその日本人は「ここからなら大丈ブイ」とか思って、また自転車にまたがりました。
で、やっぱり止まれずに100メートル以上、通り過ぎてしまったのでした。アホです。(「ああ〜っ、オレって。」って思うことってありますよね。ね。)
お陰で愛用のブーツ底がかなり減ってしまいました。くっそ〜。

で、夕方にマークさんが帰って来て、夜は一緒にライヴを見に行きました。GFRのヒット曲、「フィーリングオールライト」の作者、デイヴ・メイソンのコンサートです。 (マークさんがファンなワケ) 1000人くらいのキャパのライブホールでしたが、日本とはナニモカモ違うんです。
食事やお酒を飲みながら見れるテーブルが全席にあって、どの席も子供の居る家族連れだったり、老夫婦だったり。

「これ、ロックコンサート会場?普通のレストランのフインキだな」と。

でも、ステージには、あの、デイブメイソンが登場して、往年の名曲を素晴らしい演奏で演るんです。
で、思いました。「ああ、この国ではロックはトラディショナルなんだ。日本人の歌謡曲や演歌や民謡のように日常の音楽なんだ。」と。
コンサート終盤まで観客は皆、座って見ていて素晴らしい曲が終わると立ち上がって拍手する。もちろんノリノリで踊りだす人も居るし、それが70歳くらいの老夫婦だったりで、日本では40〜50歳となるとロック親父などと特別な名称で呼ばれたりするのが、それすらここでは滑稽に思えたりします。
そんな事を思いながら、ホールをうろついていたら突然60歳くらいの背の高い方に声をかけられました。(もちろん英語でです)

「Hey!君のT-シャツはグランドファンクだな!カッコイイな。私はグランドファンクが大好きなんだよ!」

そう言って、手を高く目の前に差し出してきたので「ああ!これは握手じゃなくて、ハイタッチだあ」と、パチン。と。
その手をグッと握られて、「今日のコンサートも最高だったね。アレ。日本人かい。」「ハイ、ワタシ、ニホンカラキマシタ。グランドファンクダイスキデース。」(←通じたか?)

ホントに楽しくて素敵な夜でした。


【2006年12月15日】

昼間は放置プレイ。そろそろジェットラグ(時差ボケ)で昼間も眠かったりする。自転車がないので一番近くのセブンイレブン(徒歩10分)とバーガーキング(徒歩15分)に食料を調達しに。
う〜ん、車なしでは生きていけないロサンゼルス。
で、夜はアメリカのトラディショナルなロックンロール、ブライアン・セッツァーのコンサートに行きました。(マークさんがファンなワケ)
1万人くらいの会場が満員で、すごい熱気。よくみるとやっぱり老夫婦、家族連れがいっぱい来ています。
ライブも素晴らしかった。私はMARK FARNERこそが最高のヴォーカル&ギタリスト!と常々申しておりまして、それはこのコラムを読んでくださっている皆さんもご承知の通り、声の素晴らしさ、歌の上手さ、ギターの上手さ、弾きながら歌う高度な技術、50歳を過ぎてなおライヴに於ける圧倒的なパワーと観客を魅了するパフォーマンス、そして迷わず変わらない音楽性。それらのトータルで「MARK師匠こそ世界最高」と信じているのですが、ナント、ブライアンセッツァー。
この人も最高です。ギターのテクニックは超絶ですし、声も素晴らしいし、パワーもパフォーマンスも最高。いやはやびっくりしました。
オーケストラ編成での演奏も素晴らしかったのですが、圧巻はトリオでのストレイキャッツ時代の曲。立ったまま叩くドラムはスネアとシンバル一枚と下から蹴り上げるフロアタムの正真正銘3点セット。

一緒にライヴに行ってくれた、
左からマークさんとラファエラさん。
ケビンさんとカッティさん夫妻。

それを物凄い勢いとパワーとノリで叩きまくる!
デカいウッドベースのスラッピング(バッキンバッキン叩く)音と一体化して、そこにノンディストーションのグレッチ・サウンドが絡んで、全然違うんだけどGFRっぽい。(←はい。モノサシこれしか持ってません)
でもほんとうに1stアルバムのGFRのサウンドに似ていました。とにかくブッ飛びました。ロカビリーというジャンルだと勝手に思っていましたが、GFRと同じアメリカンロックンロールでした。
あ、そうそう。会場で買ったビールのカップが、コップじゃなくてバケツだったのにもヤラれました。重いっちゅうの。

 

右の写真は一緒にライブに行ってくれたケビンさんから頂いたプライベートコレクションの写真です。
なんと彼は1970年代に4回もGrand Funkのコンサートを見に行ったことがあるのです。
「ほんとうに最高にかっこよかったよ。」と、当時のお話をいろいろ教えて頂きました。
ハモンドオルガンの手前に“椅子”が有るのが衝撃写真です。はじめて見ました。
Rhodesピアノからハモンドに使用機材が変わった直後はRhodes同様に座って弾いていたんですね。

Arigatou, Kevin-san !!.


【2006年12月16日】

早起きして、今日からマークさんの車で旅に出発。
最初の目的地はラスベガス。ロサンゼルスからの距離は東京〜京都くらい。
今回の旅の、一番の目的が、その“道中”にあります。
地平線が見えるような砂漠の荒野の中、果てしなく一直線な道路を車で走り抜けてみたい。
子供の頃からの夢でした。そしてその夢はマークさんによって実現してもらえました。

こーゆー景色です。

価値観が変わります。人間がちっちゃい。
視界の80%が空で、20%が何も無い広大な大地なのです。思い描いていた景色通りでありながら、想像を遥かに超えたスケールでした。
日本に帰ってきて気付いたのですが、日本では空が視界の15%以下しかありません。見上げなければ0%だったりします。
80%が空というのはほんとうに異空間でした。
で。何時間も変化しない流れる景色を眺めながらスティービーレイヴォ―ンなどを聴いたのですが、マークさんがひと言「Desert Music」と。
私はブルーズは弾けないし、マネしても何かが違うといつも違和感があったのですが、「ああ、そうか。日本で生活していると砂漠がないんだ。」と。
こんなデカイ国で、こんなにも離れ離れの町、こんなにたくさんの人、多様な価値観が混在してて、その中で多くの人に評価されている音楽って、やっぱり小手先じゃない「本物」じゃなきゃ通用しないな。と。
この広大な砂漠の真ん中の街でどういう風にギターを弾いたらいいんだろう。とかワケわからん事、あの場所でなければ考えもしなかったような事や、この国が情報化社会ではなかった時代に、この広大な大地の上で全米No,1になるなんて、なんて凄い事なんだ!とか、もう興奮しっぱなしでした。
ラスベガス行くなら陸路が最高です。


【2006年12月17日】

旅の軍資金をGETすべくランチ代の5ドル(600円相当)をスロットに突っ込んだら、80ドル(1万円相当!)を見事GET。記念にとMARK FARNER尊師とお揃いのバングルを購入しました。(偶然発見したお揃いデザインのが175ドル!が。「80ドルしかねえんだ」と、こーゆー時は流暢に必死のアピール)
大満足。が、5ドル残さなかったので昼飯抜き。75ドルしかねえんだって言うベキでした。未熟っ。
で、フト気付いた。ここはラスベガス。昼飯代をかせげばOKなワケじゃん。と。
で、おニューのバングルはめて意気揚々、再度スロットに向かう。
オチ読めますね。。。。はい、75ドルすられました。
スロットでもうけてバングル買った。という思い出だけが残りました。。。ギャンブルに来たんじゃない。観光に来たんだっ!
で。
ラスベガスまで来たので、やっぱり本場のショーを見なくっちゃ。と、先ずはビートルズのトリビュートバンド、FubFour を見に行きました。
これはブっ飛びました。
上手いし、楽器もサウンドも同じだし、衣装も同じだし、声もそっくり、しゃべり方もそっくり、顔もそっくり。
初期〜後期〜各ソロ時代の名曲を4人で完璧に再現するのです。本家がライブで演ってない曲も完璧に。

いやはや恐るべしアメリカのトリビュートバンド。冷静に考えたらショービジネスの本場、ラスベガスですからアメリカ中の凄い才能の人達が集まって来てるワケで、そりゃそこらのバンドより凄くてアタリマエっちゃあアタリマエなのかもしれないんですが、モノマネとかのレベルじゃなくて、ビートルズファンが見ても「おお!」ってなるレベルっちゅうか、「オレはビートルズを見てるのか?」っていう錯覚に陥るくらいミゴトなライヴでした。
デイヴメイソンとブライアンセッツァーとビートルズを見て来た。って言いふらしてます。

話題の「LOVE」(ジョージマーティンがビートルズの曲をリメイクしてミュージカルにしたショー)も見てきました。これまた凄いスケールのショーで楽しめましたがFubFourのライブのほーが面白かったな。
ナイトクラブで歌ってるオネーチャンとかが物凄いヴォーカリストだし、楽器屋で試奏してるジイサンとか強烈なフィーリングのブルースギター弾いてたりで、そこら中に見入ってしまうほど上手いん人たちが居るんですよ。

その人達の名前すら知らないワケで、この国で No,1になるなんて、グランドファンクはなんて凄いんだ!と、またまた大興奮して。


【2006年12月18日】

ビンボーなツーリストは長居無用。とばかりに早朝ラスベガスを発つ。
目指すは500マイル(東京〜広島くらい)以上離れたサンフランシスコ。

またまた砂漠を永遠と走る。

どれくらい時間が経ったか分らないくらい砂漠の中を走ってたらポツリと看板があって、左折するとエドワード空軍基地と書いてある。
つまり明日あたり、スペースシャトルが降りてくるような場所だったワケです。(翌々日にフロリダに降りたようでしたが)

あわてて左側の景色を見たら、地平線まで建物らしき物はなにも無い。どこが基地だ。どんだけ広いんだ。

ここならUFOも居るわな。ここを馬に乗って開拓した歴史も、ここで生き抜いていたインディアンの歴史もすげえな。などと妄想に更けつつもひたすら走る。


やがて景色は驚愕の風景の続く山岳地帯となり、更にいくつかの町を越えると、今度は果てしなく直線の続くハイウェイに。まだまだひたすら走り続けるワケです。放牧されてる牛や馬の持ち主の家が地平線の彼方まで見えないのは、どーゆー管理体制になってるんだ?とか、オレンジの農場がもう15分も同じ景色で続いているけど、どうやって収穫するんだ?そんなにたくさんミカン食えるのか!とか、ジャパニーズ君の常識の通用しない景色に圧倒されっぱなしで、サンフランシスコの灯が見えてきたのは夜10時過ぎ。12時間以上ひたすら走りっぱなし。

で、ラスベガスで豪遊してしまったので、今日からはモーテル泊です。
テカ、サンフランシスコはモーテルのほーが観光にも便利でいいんですね。で爆睡。


【2006年12月19日】

よし、ワインを飲みに行こう。と車で片道3時間(東京〜静岡)くらいの“近く”にあるワイナリーの村、ナパバレーへ行って、運転手ぢゃないのいい事にテイスティングという名の元にヘベレケになってしまいました。カリフォルニアワイン、美味いっ。

   

で、酔い覚ましにと夜はヒッピー文化発祥の地、フィルモア・ストリートに繰り出しました。
一応日本で買った観光ガイド本に「夜は行くな」と書いてあるのですが、WoodStockで「ロックの洗礼」を受けた私としては、ここは行かなければならない巡礼地です。

有名なASHBURY交差点を中心に、たくさんのマリファナ屋さんやサイケ服屋さんが並ぶ、それはそれは魅力たっぷりの町でした。

ジャニスジョップリンの家、ジェファーソンの家、ジェリーガルシアの家、ジョージハリスンが集会やった公園、ほんの数百メートルの範囲内にWoodStockのアノ時代のニオイが紫色の煙(違った。クリスマスの装飾)に包まれて、そこにありました。
あと20年早く生まれていたら。もし学生時代にここを訪れていたら。マチガイナク私はヒッピーになっていたでしょう。(今、既にヒッピーか?)

サンフランシスコ、最高。


【2006年12月20日】

   

観光コースを巡ろう。と、先ずは朝日輝くゴールデンゲート・ブリッジへ。
日本人のアメリカのイメージといえば、自由の女神とグランドキャニオンと、この橋です。(←昭和生まれの場合)

でかい。

瀬戸大橋のほうがデカイが、昭和生まれの場合、「おおーっ!」 となります。
遠くの沖合いに見慣れた島が。「おー!アルカトラス島だ。」
観光っぽくなってきました。

で、船で上陸して生々しいアメリカの影の歴史を堪能。他にも70年代の映画で見た景色がたくさんあってL.A.よりやっぱり面白い。


毎日ハンバーガー食べてたのですが、 
ジョニーロケットのハンバーガーが一番気に入りました。


これはジュークボックスにあった70年代の名曲。

 


【2006年12月21日】

毎日晴天&スケジュール通りの幸運続きでしたが、この日だけは豪雨との予報を聞き、早々にサンフランシスコを脱出。また来たい。

で、ハイウェイでL.A.へ帰れば東京〜大阪くらいの距離なので5〜6時間なのですが、カリフォルニア・コーストの絶景を見たい〜。と、わがままを言って海岸沿い、

10〜12時間かかるコースを選んでもらいました。つまり東京〜大阪の距離を一般道、しかも崖沿いのワインディングを走ってもらったワケです。

これがその景色。

Drコトー先生がチャリで走るような景色。の20倍くらいのスケール。
航空写真じゃないのに目の前の景色が航空写真のような。(崖の高さが200〜300メートルとかあるので)

途中、有名なロックフェスティバルのあった町、モントレーにも寄って。
ジョージハリスンがラヴィシャンカールの弟子達と一緒にキャンプした、あの有名な景色の美しいビッグシュアも通過。
最後は巨大なモッロベイロック(平らな海岸にいきなりボコリとデカイ一枚岩。写真の左下、白い車わかります?)
で、夕日が太平洋に沈む壮大な画を見れて。

アメリカのおまじない、クロスフィンガー(コトー先生の舟酔い止めと同じ、昔のエンガチョ)で快晴を祈ったお陰で、またまた天気に恵まれたワケです。大感謝。

で。夜遅くにはL.A.に無事帰還。マークさんすごい。


【2006年12月22日】

本人がへーキヘーキと疲れを見せないのをいい事に、車で1時間(東京〜箱根くらい)の町、コロナに在るFender工場&博物館へ連れて行ってもらうことに。

でかい。

求人広告が出てたので英語が流暢に話せれば履歴書を提出したいトコでしたが、考えてみたら変なギターしか知識ない事の方が問題なので、博物館を見学してそそくさと。ここからロックンロールが生まれたんだな。と感激もヒトシオ。(昔はココではなかったのをわかっちゃいるけど、でもヒトシオ)

えらい田舎でした。

午後はL.A.中心部へ戻り、最後の楽器屋巡りです。
マークさんの行きつけのヴィンテージ屋さんの倉庫まで見せてもらって。

あるトコにはありますね。

ラスベガスやサンフランシスコの楽器屋も捜索してきましたが、このサイトで取り上げてるような変なギターやアンプはもうないんですね。売れ筋のF社やG社が品揃えの中心で、それらの値段もまた日本とほとんど同じでした。世界はインターネットでつながっているんですね。

つまらんです。

そういえば、タワーレコードも先日倒産して看板と店舗は残っているのですが、閉ざされた扉には「仕事は閉鎖しました」と小さな紙が貼ってあって、時代はネット配信とネット通販の波にどんどん押し流されて、たぶんレコード屋というモノがこの大地の上から消滅する日が来るのでは。などと寂しい光景も目の当たりにしました。楽器も通販が主流となりつつあるようでした。
「タワーレコードが無くなるとCDを買いに行く店が無い」とマークさんが言ってました。

日本のようにどこでも何でも手に入る国ではないんでインターネットの便利さが培ってきた習慣や文化をも変えていく時代が急速に来ているんだなぁ。。。などと想いフケつつ、フラリと入ったギターセンター。

超メジャー店なのでここにはGFR系の“飛び道具”など有るワケないと何の期待もしていなかったのですが、ワオ。ガラスケースの中にこいつがありました。

1億円のストラトキャスター。その昔、日本武道館でこれを弾くギターの神様を見ました。

エリッククラプトンのブラッキーです。

オークションで1億円で落札したのはギターセンターだったのです。

知らなかったし。ここに有るのも知らなかった。(期間限定公開らしい)

明日は帰国日。最後の最後にロックの歴史上、最も有名なギターに出会えて、やっぱりデジタルより、アナログな楽器が素晴らしいなぁ。と改めて想いました。

そうだ。ラスベガスやサンフランシスコやフェンダー博物館で、他にもいろいろ見たんでした。これがその写真


ジャニスの家

ジャニスのマント

ジミヘンのジャケット


ピートのギター

クリームのベードラ

WoodStockのチケット

時代が変わって、世の中の価値観が変わって、どんどん新しいものが押し寄せてきても、これらの“歴史的”な遺産の持つヴァイブは永遠に私を揺さぶる事でしょう。
21世紀、2006年のアメリカを訪ねて、過去の歴史を垣間見て、変わってしまったものと変わらないものを知って、私の好きなアメリカの生んだロックンロールという音楽、グランドファンクの素晴らしさをまたまた再認識させてもらえた素晴らしい旅でした。

ちなみに今回の旅で、私が着ていたGFRのT-シャツを見て「おお!オレもGFRが好きなんだよ!」って声をかけてくれた方はナント7名でした。
デイブメイソンのコンサート会場で声をかけてくれたおじさん、ブライアンセッツァーのライブ会場のビール売店の兄ちゃん、ラスベガスのカジノですれ違ったおじさん、サンフランシスコのフィルモアストリートの雑貨屋の兄ちゃん、サンフランシスコのバーの前でヘベレケに酔っていたおじさん、L.A.ギターセンターの店員の兄ちゃん、パサディナのバーでいきなり肩組んできたおっちゃん。
みなさん、けっこう遠くの方から見つけてくれて、Hey!って大声で声をかけてくるんで一瞬おどろいたりするし、当然知り合いが居るワケない土地なんでヨッパライにからまれてはマズイと視線を合わせないようにしていると、「GRAND FUNK RAILROAD !!」 と叫んでくれて、ハッっとしてグッっときたりして。
これにはマークさんも
「エージのT-シャツは凄い人気だな。残念ながらみんな男だけど」とビックリしていました。

「日本でもね、このT-シャツ着てて声かけてくれた方がいっぱい居るんだよ。西表島観光の社員の方、仙台から来たロックバンドやってる女の子、秋葉原の部品屋のおじさん、レストランのウエイターさん etc,etc,今までに数え切れないくらいの出会いがあったんだ。グランドファンクって凄いんだよっ」 などと、最後の夜はいろんな話を夜中までマークさんとしました。寝たらお別れなので2人とも一生懸命で。


【2006年12月23日】

早朝、L.A.を発ちました。空港でのマークさんとの別れは毎々涙がポロポロこぼれて恥ずかしい。。。。日本に着くと日付変更線を越えてクリスマスイヴの夜です。
誰も迎えに来ないハズが、ナイショでカミさんが来てくれてて、びっくりするやらウレシイやら。こちらは泣かないんだけど12日間溜まっていた日本語会話が堰を切ったように溢れ出て。(笑)

It was thewonderful trip that my dream came true !!

Arigatou,

my brother Mark-san !!

 

Witten by Eiji Farner

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