Narucho's Collection U
Written by Eiji Farner
世界屈指のティムボガート愛好家・鳴瀬喜博教授の“秘宝”コレクション。 先ずは、コチラの写真を御覧ください。 1973年のBeck Bogert Appice の日本公演を、東京・大阪と追いかけた鳴瀬青年が、客席からこっそり隠し撮りした貴重なお宝写真です。 「あのジェフベック」が、ヴァニラファッジ・カクタスのリズム隊と結成したジェフベック・グループ。 鳴瀬青年の覗くファインダーには、 つまり。鳴瀬青年にとっては、「あのカクタス」のベーシスト、ティムボガートの初来日なワケです。 メンバーの入れ替わりが激しかったカクタス。 な、ワケです。 Newカクタス。(笑) ちなみにBBA来日公演のパンフレット中は、なぜかカクタスのメンバー全員の写真が、まるで来日メンバーのように、どーんと使われています。 ティム御大とアピス氏の写真が無かった。。。どれがティム御大で、どれがアピス氏なのか顔の判別がつかないんで、とりあえず全員の写真を載せてしまった。。。等々、諸説ありますが、「もしかしたら来日直前に、Newカクタスって名乗るかもしれない!」っていう仮説も立ててこうしたのか。。。トカ。(←妄想) おっと逸れたっ。お宝の白黒に戻ります。 この奇蹟に彩られた出来事の“価値”が、スキャナーやコピー機で複製されることを拒絶するが如く、白黒写真の、真っ黒い部分に、真っ黒いサインペンで。(笑) そして一枚だけ、アピス氏のドラムソロを撮ってしまった写真が混在しているのですが、見事にその写真だけヨケて。サインされていません。 「これはオレじゃねえ。」 と言わんがばかりに。(笑) 筆者はまだ小学生でしたが、たしか記憶の隅にある1973年当時というのは現代のデジカメのようにお手軽に写真撮影が出来る時代ではなかったと記憶しています。覗き込んだファインダーに写る風景をフィルムに焼き付けるには“念”を込めてシャッターを押さなければならなかったハズでした。(注:当時小学生) ベースアンプのサウンド直撃の座席であったことも、BBAが結成されるずっと前から毎朝毎朝カクタスを目覚めに聴いていたことも、実際に見るティム御大の凄まじいプレイも。 「オレもあそこへ。 あの場所へ。 サテ。
そしてこのように、ティム御大の写真ページには、サインが添えられています。
はい。そのトーリ。
「んっ!」
「ぬわにぃ〜! おそらく、鳴瀬教授の心の叫び声が六本木の街に響き渡ったことでしょう。 そして、いつもなら元の置き場所にそっと戻すチラシ (←我々はこのチラシを「奇蹟への切符」と呼んでいます) を持ち帰り、毎日毎日指折り数えて公演日を待つプロベーシスト・鳴瀬喜博青年の姿。。。(はい、一緒に妄想してください。) そしてそして。。。。。 遂に「その日」はやってくるのです。
1999年4月号のベーマガです。新幹線がひかり号しかなかった昭和48年に、Beck Bogert Appice の日本公演を、東京・大阪と追いかけた鳴瀬青年が、26年かけて遂に辿り着いた“夢の実現” シーンがカラー記事で紹介されています。
誰もが。憧れの有名人に会ってみたいと願うものです。 あの日、ポチっと。 鳴瀬青年が押したカメラのシャッターボタンで“ON”になったタイムマシンは、写真に焼き付けられた最高のベーシストへの夢を叶え、この日の対談を叶え、これを読んでくれている多くの方々に、その“奇蹟”を知る証人となってもらって、みんなが一緒に時空を超えてしまったのですからね。 対談記事の中では先ほど紹介した「白黒写真」のエピソードや、このサイトでこれまでに紹介してきた鳴瀬教授の“想い”が、ティムボガート御大に直接語られている、涙と笑いなくしては読み流せない(?) それはそれは美しい物語となっています。 じーん。。。。 鳴瀬教授によるヴァニラファッジのライヴレポートも必読です。 あ。そうそう。 その日は、鳴瀬教授邸の御近所に城を構えるハードロックキーボード大王・厚見玲衣さんから古い音楽雑誌資料を拝借する事になっていたのですが、鳴瀬教授から「凄いお宝が大量発掘されたぞ〜!」との連絡が入り、急遽両家をハシゴする事になったのです。 で。先ず、厚見さんチに伺って、拝借した雑誌の記事に、コレを見つけ。
キースエマーソンと厚見さんの対談記事。 「これね、イギリス時代の最高の思い出。 「これね、オレの夢が叶った最高の思い出。 ボクの人生の中の一日の、ホンの10分間くらいの時間差で聞いた 「鳴瀬さん。。。コレ見てください。実はホンの数分前に、 「ぬわにぃ〜、それじゃどこにでもある話しみたいで、 一緒に大爆笑しながら、
で。他にも今回発掘された教授のお宝がまだまだあります。
そしてその中にも。このトーリ。
日本の出版社が輸入した本ですから、当時は日本語の翻訳本がオマケに付属していて、
そしてMUSIC LIFEの表紙にも、このよーに。
もう、大人げないまでに(笑)、次々とコレにもアレにもサインをもらいまくる、鳴瀬青年(当時49歳)の姿を妄想することで、これを読んでくれている全員がハッピーな気持ちになってしまうでしょ。(^^) サインをもらった鳴瀬さんもハッピーだったけど、これだけの写真や雑誌を大切に保管していたファンが、日本一のプロベーシストとなって会いに来てもらえたティム御大が、きっといちばんハッピーだったんじゃないかなー。って。 この国宝級のコレクションを取材しながらボクはそんなふうに思いました。 で。ほんとは、まだあるんですよ。 「おぬし、やるな。ならばオレの今の音も聴け!」 ミュージシャン同志、ベーシスト同志だからこそ理解しあえる最高の“お宝”は、インターネットサイトに文字で載せることができない“SOUND”だったという。
著作権がどうなっているのか分からない未発表音源を勝手にアップするワケにはいかないので、 トナレバ! 鳴瀬教授がTIMチョと変身して、その授かりし“宝”を披露してくれる 秘宝の第三展示室、ライヴ会場でお会いしましょう。(笑)
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