MEET The MESSENGER

いつの日か。MARK FARNER のメッセンジャーを見てみたい。。。。
子供のときからの夢を実現させようと、2005年12月末、遂に。単身アメリカに行って参りました。(妻は留守番。ごめん。)
目指すはクリーブランドにあるロックの殿堂 『Rock'n Roll of Fame』 に展示されてる“夢の”ギターです。

実兄が住むロサンゼルスに行き、兄の家にステイして旅費を浮かせ&兄に通訳とガイドを頼み、クリーブランド行きの飛行機チケットを手配してもらい、ついでに“お宝”見つけてGETして帰ってこよう。などという甘〜い計画です。(つまりノーアイデア、行ったトコ勝負なワケです)

ちなみにクリーブランドへの旅行企画って扱っている日本の旅行会社が無いんですね。なので今回は現地でのサポートが不可欠でした。
事前情報では、最大の心配は“極寒の地”クリーブランドの雪情報で、空港閉鎖等のハプニングが頻繁らしく、この時期にクリーブランドに旅行する人なんて、アメリカ人でも居ないらしい。。。。(で、旅行会社が扱わないのか。。。)

ま。ともあれ、この機を逃せば次にいつまとまった休みがとれるか分からないし、その気になっちゃったからには行っちゃおう!と。まあ、出発時から、甘〜い計画だったんだな。と。今にして思えば。。。。。はい。その通り。もう察しがついたでしょう。
トンデモない怒涛のハプニング連発が、甘〜い私を歓迎してくれたワケです!
この列車は暴走機関車だという事を忘れてました。

もうね。

参った〜!というか、最っ高 !! というか、私の人生の中で最も印象深い旅と、なっ・ちゃ・い・ま・し・たっ!
以下、滞在日記です。


【2005年12月30日】
夕方の飛行機に乗って揺られる事8時間半。L.A. に到着すると12月30日の朝です。一日トクした気分。
飛行機を降りると、当然ながら空港スタッフがアメリカ人なワケで、「おお、アメリカじゃん。」と。
周囲は日本人観光客ばかりですのでこの時点ではまだまだ余裕。
がっ。トイレに入ると“小”用の便器の高さが高い!(女子にはわかんないだろーなぁ。。。) この時点で小さなアジア人は圧倒的な威圧感に打ちのめされます。アメリカでかい!
“お釣り”に注意しつつ、支払いを済ませるとアレ?日本人団体を見失ってしまいました。
たかが便器の高さゴトキで、もう不安にかられる小心者な私。。。
到着時刻が早かったので、ロビーで兄の迎えを待ちますが、「寝たら荷物を取られる!」と脅されていましたので必死に睡魔と闘いつつも、真冬の日本から暖かい L.A. にソレナリの防寒着を着たまま来たワケですから、コタツの中に居るような。。。
場内アナウンスの早口英語も子守唄の如く・・・
あー、もうダメだ。
俺はここで荷物を奪われてしまうんだな。

と覚悟した瞬間に、「よう!寝ちゃダメだぜ。」と日本語で兄の登場。助かりました。で。初日、真っ先に行ったのが、ココです。ロサンゼルスといえば!はい。

キャピタル・レコードです。

「あー、ここからグランドファンクが世界中に向けて発車したのか。。。。倉庫に“お宝映像”とかあるんぢゃねーのかっ!?」 などと。日本語で叫びつつ。

近所の中古レコード店ではMARK&DON のソロアルバム『Monumental Funk』 の、ピクチャーレコードじゃゃない普通盤(←こっちのほうがレア!)が見つかって、「こりゃサイサキ良いぞ。」などと。

なにせガイド役の兄が連れていってくれるのは、通常の観光コースからカナリ逸脱したマニアックなルートなワケです。

 
有名なチャイニーズシアター周辺の歩道のジミヘン星。ギターセンター入り口のクリームの手形。
などなど。

こちらのナンのヘンテツもない建物は、かつて『アンプ・クレイジー』というアンプ専門ショップのあった建物です。

最近引き払ったばかりで看板も残ってませんでした。
Fender 第二章 開かれた扉 で登場する「L.A.では超有名なアンプ技術者」っていうのが、このアンプクレイジーのJERRYさんです。いらっしゃれば挨拶したかったのですが。

ちなみに建物の左側の路地の奥に小屋があるらしく、そこに昔ガンズ・アンド・ローゼスのオリジナルメンバーが共同で住んでいて、ここからあの超ビッグバンドがスタートしたっていのは有名なサクセスストーリーらしい。

私はガンズも良く知らないんで、説明足らずでスミマセン。
「奴らのワウワウは俺がイジってやったんだ。」とJERRYさんが申されていたそうな。

そういえば何年か前にL.A.に行ったときと様変わりしていたのは、中古楽器屋が激減(壊滅)したことです。
今やインターネット&ネットオークション時代なんだなぁ。と実感。


【2005年12月31日】

壊滅により“お宝”楽器探しが暗礁に乗り上げましたので、私の好きなネイティヴ・インディアン・グッズを探しに街に繰り出しました。

おおみそか。っていうフインキはないんですね。アメリカは。

夜にはあちこちでカウントダウン・ライヴをやっているようなので、兄とライヴハウスに繰り出しました。

で。会っちゃった。スティーヴィー・レイ・ヴォーンに。

いやはや。アメリカのトリビュートバンドの上手い事、上手い事。
もうSRV本人がオリジナルとして存在してなきゃ、この人がギターヒーローになってたんぢゃねーの。ってくらい、メチャ上手い。

楽器が同じ、音が同じ。なんてのはあったりまえに通り越して、立ち姿が似てる、弾き方が似てる、声が似てる、顔が似てる!

ゴキゲンなサウンドで、最後の方は私の大好きなジミヘンの曲を連発してくれて。

そのライヴハウスには日本人観光客なんて一人も居ないし、カウントダウンで全員で盛り上がってドカーンってなるし、カナリ興奮しました。

で。たいして英語もしゃべれないクセにSRVさんのトコに行って、

「日本から来て、SRVに会えてHappyだ。」とか言っちゃったら、
「アリガト。コンバンワ。チョットハナセマス。マタアイマショウ。」って

日本語だったりしてひっくり返りました。日本語の話せるレイヴォーンの巻き。


【2006年1月1日】
夏に日本に遊びに来た兄の友人のMARK POWERさん(カッコイイ名前でしょ)がインド旅行から帰国されたので、合流&再会。
ご職業は小さな子供達に言葉を教える教師なので、幼稚園児以下の私の言葉(?)を理解してくれるし、去年はWESTアンプ(GRANDE)の購入もサポートしてくれて、今回のクリーブランド行き飛行機&ホテルの手配もしてくれて、もうほんとうに大感謝。
元日なのでどこも店は休みなのでMARKさんの自宅を訪問。こ・れ・が!
私にとってアメリカ中で一番大好きな場所。となりました。
知っていたのですが、MARKさんのギターコレクションの素晴らしい事たるや!

恐らく日本では50万円〜100万円以上もするであろうヴィンテージ・ギターが家中にポンと!
ソファーの上には60年代のファイヤーバード、タンスに立てかけてあるのは60年代のハミングバード。
「これはどう?」と持ってきたのはヴィンテージ・マーチン。
グレッチやらバードランドやらエピフォンやら芸術的なフルアコが10本くらい次から次へとクローゼットから出てくるワケです。

「ちょっと弾いてみろ。な。な。な。いーだろ。なっ。」って。

最初こそ、恐る恐る触っていたのですが、10本目くらいになるとマヒしてきて、ジャカジャーンって。
「コレしか弾けないグランドファンクだぁ〜」って弾きまくっちゃったりして。

65年製のストラトをクィ〜ン、ギュワーン 「おお、いーじゃん。」って。
(↑マヒ。アホ。今にして思えば大反省。)

MARKさんはアンプも極上のヴィンテージを多数所有されてて、アンプマニアの私としてはもう夢心地ですわな。調子にも乗ります。

ハタと。アメリカの民家って、60年代のフェンダーアンプがカッチョよく歪むくらい音量上げてもOKなんですね。外に出るとどっかの家からドラム叩く音が聞こえたりして。
いいなぁ。アメリカ。。。。などと。
で、全部出尽くしたと思いきや、「まだガレージにある。」と。果たしてガレージにはラディックのドラムセットは有るわ、巨大なウッドベースまで有るわ、いやはや参りました。

更にMARKさんはインド音楽好きなので、大きなシタールを11本!更に巨大な丸太のようなジャイアントシタール(何て言うんだっけ?)からワケわからんインド楽器の数々まで。

いつも日本で「お前のコレクションはクレイジーだ。」って言われ慣れていたのが、便器の高さの違いを思い知らされたというか、それでいて「じゃんじゃん弾いてくれ。」っていうトコがなんか日本の財テク・コレクションとは全然違ってって、ホント楽しかった!


【2006年1月2日】

当初の計画ではサンフランシスコにMARKさんと兄と3人で遊びに行く計画でしたが、ナント。
年に数回しか降らないドシャ降りの雨。
郊外では大規模な災害(洪水)も。

アメリカの道路は水はけを考えてないらしい。
しかも日本のアスファルトよりすべりやすいツルツルのコンクリートなんですね。で。「絶対に危ない」という事でサンフランシスコ行きを断念。
雲行きが怪しくなってきました。
(フィルモア・ウェストに行きたかった。。。。)

で。ならばMy Real Good Friend Sohnさんが、私にくれちゃったL-5Sを買ったノーマン・ハリス(アメリカの有名なコレクター)さんの店に行って見よう。と出かけたら、大雨なので休み。う〜ん。
雲行きが。。。と思っていたら、兄が一言つぶやきました。

「あ。俺、風邪ひいたみたい。ダメだ帰ろう。。。」

この時点では、「じゃあ休もう」くらいにまだまだお気楽モノだったのですが、すぐに強烈な現実に。。。。ナント!そのまま兄は私が帰国する翌日まで寝込んでしまったのです!まだ7日間もあるし。

クリーブランドに行かなきゃならないし。。。。。。
呆然。。。。。。。。。。

「途方に暮れる。」っていう状況って、コレの事か!で、
英語で「途方に暮れる」って何て言うんだ!? みたいな。


【2006年1月3日】
 

世の中救う神アリ。またまたMARKさんが助けてくれました。
私が退屈しないように L.A. の名所案内をしてくれて。
考えてみたら兄はマニアック名所専門で一般的観光コースはMARKさんのお陰で周れたワケです。

そー言えば。前の日の夕食をご一緒した兄の友人でもあるケビンさんにも気遣って頂いて、いろいろ楽しいお話しを伺いました。
彼はプロのドラマー(有名なバンドでも活躍されているらしいのですが、相変わらず私がバンド名を知らない。。。)で、そうとは知らずに

「ケビンもギター弾くの?」
なんてお気楽な私に
「知ってるぞ。Eijiはグランドファンクが好きなんだろ。」
「俺はな。72年〜75年の間に5回も見たんだぜ。最高だったよ。」

と、もうヨダレものの体験談を話してくれて、「よし、今回は時間がないから次にEijiがL.A. に来たときに、グランドファンクをジャムろう。俺は叩けるからさ。」って。
なぜかグランドファンクの話しになると、何を言ってくれているのかちゃんと分かるんですね。フシギと。
で。SRVさんといい、ケビンさんといい、「ああ、ちゃんと練習しなきゃ、恥ずかしいな。」などと思ったワケです。
MARKさんもメチャ上手いし。ちなみに皆さん、私の一回り年上。


【2006年1月4日】
いよいよ夜。クリーブランド行きの飛行機に乗り込みます。はいその通り。
兄は行けません。ナント。MARKさんと2人旅です。

私もホトホト呆れるくらいモノオジしませんが、こんな私と2人っきりで一緒に行ってくれたMARKさんには涙が出るほど感謝です。
MARKさんのGirl Friendのラファエラさんが空港まで送ってくださったり、もう本当に一人ではどうにもならなかったトコを皆さんにサポートして頂いて。

国内線の空港は、当然ながらこれまた日本人は皆無で、なんかハリウッド映画の場面の中に居るような感覚でした。

「ああ。ここに俺一人だったら泣いてたな。。。」などと。


【2006年1月5日】
約5時間のフライトでクリーブランドに到着です。
L.A.とは3時間の時差があります。身体がL.A. に慣れていたので、寒いっ!
気温は0℃くらい。タクシー拾って市街地へ。
「おー、兄ちゃん日本人かい。珍しいな。ナニしに来たんだ?」と黒人の運転手に話しかけられたのが最初で、それから何度同じ質問をされたか憶えてなません。
つまり、町中に誰も日本人は居なかったワケです。
で。少し仮眠をとろう。と、ホテルにチェックインしたのですが。寝られるワケありませんでした。
そりゃそーだ。
 


Rock'n Roll of Fame

もう、目の前、歩いて5分のトコに MARK FARNER のメッセンジャーが有るのですから!!!!

天候はあいにくのみぞれ雪(サンフランシスコ行きを阻み、兄をベッドインさせた雨雲がクリーブランドに到達していたワケです!ホントの話。雨男ぢゃないんだけどな。。。)が、降る中、開場時間と同時に遂に「Rock'n Roll of Fame」に、私は足を踏み入れました!

ここまで遠かったー!

ちなみに、撮影禁止です。カメラ没収。建物はこんなです。


中は広い。曲がり角を曲がる度に目の前に現れる歴史的なギター!

皆さん、ぜったい。お薦め。最高。
行ったほうがいい!素晴らしい体験でした。

私はハードロック世代なので50年代〜60年代(オールディズ?)のエレキギター創世記、ロックンロールやブルースなどの創世記については知識がありませんので、恐らく多くの歴史的ギターの前を素通りしてしまうトコだったのですが、ナント同伴のMARKさんはもう歴史学者のごとく全てのギターの解説をしてくれ、お陰でほんとうに楽しめました。

「この人はジミヘンに影響を与えた人だよ。」
「このギターは有名なTV番組の中で司会者が使ったんだよ。60年代のアメリカ人なら皆知ってるさ。」
「この人は有名なヒット曲の作者だよ。(で、歌ってくれる)」

とか、もうアメリカのエレキ史というか音楽史の奥の深さというか、ホント勉強になりました。

MARKさんと一緒に来れてよかった! カクイウ私のストライクゾーンは、

ジミヘンの衣裳。
ホテルカリフォルニアの白いダブルネック。
ジェフベックがセイモアダンカンと交換したエスクワイア。
ZEPのJPジョーンズのアレンビッグ。
オールマンのレスポール&SG。
ジョンレノンのイラスト描いたアコギ。
ロウウェルのナチュラルストラト。
マディウォーターズの赤テレ。
クラプトンのアンプラグド・ジャケットのマーチンとか。
SLYのベストやCS&Nのウッドストックで着てた衣裳も感慨深かった。

そして今回はバングラデシュコンサートとTHE WHOのTommyのフェアをやっていて、最も衝撃を受けたモノのは、そこにありました。
MARKさんの最も尊敬するジョージハリスンが、あの日着ていた白いスーツ。
もちろんガラスの中なのですが、スーツを着たマネキンは私の目の前30センチのところに「凛」と立っています。

MARKさんはひざまづき、涙を流していましたが、何故か私も涙が止まりません。
ものすごいオーラというかエネルギーがそのスーツからは発散されて私の内面に深く入り込んでしまうのです。
ああ。これは本物の・・・表現が見つかりません。
目に前にジョージハリスンが立っている錯覚というか、感触が、間違いなくそこにありました。
すごかった。

そして、私をこの世界に導いた最初の出来事は、映画「WOODSTOCK」でした。
映画少年はその日からロックの洗礼を浴び続けるワケです。

あの映画の中で宙に放り投げられ、ステージに叩きつけられ雄たけびを上げた赤いSG。
ありました。目の前に。ほんとうに感動で全身が振るえました。動けなかった。

ありがとうピートタウンジェント。野蛮でラウドなロックを与えてくれて。

もし他の誰か、他のスタイルの音楽だったなら、私はGFRに行き着けなかったかもしれませんでした。

他にも物凄いギターが物凄い量あって・・・・アレ?一日目が終わっちゃったぞ。
閉館時間が早いんですよ。寒いんで。

MARK FARNER のメッセンジャーは何処だ !?

というワケで、翌日に持ち越しなワケです。それにしても曲がり角を曲がる度に

「ああ。この角を曲がったらメッセンジャーがあるかもしれない。。。」
「どうしよう、どうしよう。泣くぞ。考えただけで涙出そうだぞ。どうしよ。。。」

などとドキドキドキドキしながら歩くのはホント心臓によくありませんでした。


【2006年1月6日】
また寝られず。ホテルの窓から目に前に広がるエリー湖は「みずうみ」というジャンルの海です。
港にタンカー停まってるし。向こう岸見えないし。水平線見えるし。
もう朝からMARKさんが気遣ってくれて「もしメッセンジャーが無かったら、エージは大丈夫か?」って。
わっはっは。そーゆー心配しないトコが僕なんだよ。みたいな会話をしながらまたまた開場と同時に探検開始です。
それでなくても観光客が少ない(ガラガラ)なので、さすがに目立つようで「おっ!日本人。今日も来たね。お目当ては何だい?」って、もう受け付けのオバちゃんから巨漢の警備員まで皆さんに声をかけられ、その度に「GRAND FUNK RAILROAD ! Do you know GFR ? 」 などと大声で。

途中、川崎駅前で配ってたポケットティッシュを落としたらしく、黒人の警備員が息を切らせて追いかけてきて、

「ヘイ!これはお前の落し物だろう。よかった〜。」って。
「なんでわかったの?」
「ここに書いてあるのは日本の文字だろ。お前しか居ないからさ。」って。

広い会場を走り回って探してくれたみたい。確かに「川崎Beの歳末バーゲン」って書いてある。
皆さんホント親切で嬉しくなりました。

で。今日メッセンジャーを見つけられないとマズイんで、さっそくそこらじゅうのスタッフの方に「メッセンジャーは何処?」って訊きまくりまして。その度に皆さん無線機でオフィスに問い合わせてくれたりで、「日本から来てるらしいんだ。」って、本当に親切で感動モノでした。そして、そして。ついに!!!!!ドコにあるかが判明!

「こないだ返しちゃった。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・が〜ん!

もうね。まじでひっくり返っちゃいました。
もうスタッフのみなさんもMARKさんも「大丈夫か!?しっかりしろ。」って心配してくれたのですが、実は。以外にもあんまりショックを受けなかったんですね。これが。なぜか。わかんないんですけど。

たぶん。MARKさんとの2人旅で、言葉が全部伝わらないから、言葉でのごまかしのない“気持ち”が伝わりあって、ほんとうにいろいろ学んで、すごい暖かい気持ちにしてもらって、もうジョージハリスンのスーツからもキズだらけのSGからも凄いエネルギーと忘れてた事。
“初期衝動”っていうか、自分の原点を思い出す機会をもらって、ああ、ここでメッセンジャーを見たら、自分はコレクションやGFR熱に一応のピリオドが打てるな。などと考えて来たのが間違っていて、

「ヘイ!まだまだレイルロードは続くんだよ。お前はまだまだだ。」って、

神様が言ってくれているような気持ちになっていたというか。

その夜、ハードロックカフェ(これまたアメリカンな空間でした。)でビールを飲みながら、MARKさんと話していたら彼にもそう言われてびっくり。
「お前はまた俺と一緒に旅をするんだ。俺達は知り合ったばかりで、こんなにHappyなのに、エージの旅がもう終わってはつまんないよ。」って。

もう、うれしくて神様に御礼を叫びました。
「メッセンジャー見たかったぞ!でも、ナニモカモありがとう!」って。


【2006年1月7日】

Cleveland City

早朝、灰色の低い雲に覆われたクリーブランドを立つ。

またいつか来るかな。
もしもメッセンジャーが戻ってくれば、戻ってくるぞ。

「ここはね、雪が降って凍える寒さになるから、歩けない奴らが俺を必要とするんだ。寒いから食っていけるんだよ。良い所さ。」って話してくれたタクシードライバーの言葉が忘れられません。

「日本人のにーちゃん、また来なよ!」って。

L.A. に着くと空は青くて高くていっぱいあって、パームツリーなんか生えちゃってて、うーん。

やっぱアメリカ。広い。

結局兄は倒れたままで、最後までMARKさんのお世話になって、MARKさん宅に泊めてもらうことに。

そういえば、MARKさんのガレージは、たくさんのギターコレクションを撮影する為のスタジオにもなっていて、本格的な機材も揃っています。

 

で、そこで彼が撮ってくれた私の写真がコレです。

写真で着ているジャケットは衣裳ではなくて自前です。(恥っ)

帽子は兄がくれたジミヘン帽子。←オフィシャルのジミヘン帽子!

1965年製のストラト。

グランドファンクっぽくないけど・・・

写真からMARKさんの優しさまでもが伝わってくる!
この写真が大好きです。

ありがとうMARK。
あなたをほんとうの兄弟だと思っています。


【2006年1月8日】
朝。MARKさんに空港まで送ってもらい、感謝の想いを全部言えない自分に泣きました。
帰りのフライト時間は11時間。
2時間半も遅れて飛び立った飛行機は成田に着いたら1月9日の夜でした。一日損した気分。

そうそう。ちゃんと“お宝”もGETしてきました。

WEST AVALON 後期型with “L.O.U.D.”switchです。

で。これが成田到着の画です。

当然、この状態ですので入国検査の方に
「コレは何か?」と訊かれます。
「これはですね!グランドファンクっていう最高のロックバンドが使っていたメーカーのアンプでして・・・・・」
日本語を一週間ぶりに話せる相手、しかもWESTの説明を求めてくれているっ!と、ちょっとコーフンしたのですが
「通っていいよ。はい次の方。」
とアシラワレてしまいました。

珍しいアンプなのにぃ。。。。

というワケで、当初の目的だったメッセンジャーを見ることはできなかったのですが、それはそれはほんとうに素晴らしい体験の旅でした。

日本に帰って来たら、友達が 「残念だったね。でも、まだ終わりじゃない。って神様が言ってるんだよ!」って。みんなに言われて、もう嬉しくなってしまいました。

ありがとう。グランドファンク。


Heeeeello Mark!
The great trip with you is treasure of my life.
Thank you for all.
I think you to be my true brother.
Please do a trip again together.


Hontou-ni-Arigatou, Your brother Eiji.

 

Witten by Eiji Farner

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