Wikipedia でもご覧ください。(笑)
http://www.naruchops.com/ をご覧ください。知ったかぶりの Wikipedia は何の参考にもなりません。(笑)
2011年夏~秋にかけて日本各地で繰り広げられた、TIMチョ&宴ROCKSのドームツアー(八王子、京都、神戸、広島、原宿、南林間、目黒、大船)の素晴らしさを体験するほどに、ハードロック・ベースの創始者ティム・ボガートを知らない方が意外なほど多いことに衝撃と悲しみを禁じえぬ現実を目の当たりにしました。ハードロックの創世記、混沌たるあの時代に、衝撃的なスタイルを世界に示したハードロック・ベーシストのヒーローであり、人気投票は常に一位、当時は誰もが世界一上手いベーシストはティム・ボガートだと答えたのにっ・・・。
もしも全盛期にジミヘンやジャニスのようにアチラに召されてしまっていたならば、間違いなく地球の歴史に永遠に語り継がれたティム・ボガート先生ですが、残念なことに70年代後半になると急速にその求心力を失い、すっかり居なくなってしまいました。そして90年代に、この日本で満を持して復活の狼煙をあげた「Char, Bogert & Appice」で、往年のスタイル復活!!!! 長生き万歳! 健康万歳!! と、思いきや・・・。このCBAによって決定的に、かつてのスタイルと神通力を失ってしまっている様をこの日本で露呈してしまい、ボクの中のティム・ボガート伝説はChar氏の蹴っ飛ばしたアンプが崩れる轟音と共に終焉を迎えたのでした。かつての戦車のようなグルーヴが無い。サウンドに LOW が無い。おまけにマサカの三味線みたいなチョッパーまでやってしまって・・・。
恐らくティム・ボガート先生は隠居中に日本で何が起きていたのかを知らな過ぎたのでしょう。日本のオーディエンスは・・・かつて鉄人ルー・テーズまでも裸足で逃げ出した伝家の宝刀、「ナルチョップ」 を容赦なく観客に叩き込み続けた鳴瀬喜博氏によって目も耳も鍛え抜かれているということを。
かたや。日本のオーディエンスに爆音チョッパー(スラップではない)を30年以上も叩き込み続けた鳴瀬喜博氏。その原点は、「40年前はさ、毎朝、カクタスを目覚まし代わりにしててさ、一日中ティム・ボガートを聴いてたんだよ。」っていうくらい、ティム・ボガートに傾倒されていらしたとのこと。還暦を迎えられ発売されたアルバム「宴暦」には、日本のベース界を常に頂点で牽引し続けた歴史が収録されています。このアルバムだけで聴けるキャリア初期の曲では、まるであの、全盛期のティム・ボガートのような圧倒的なプレイが展開されており、これは全てのハードロック・ベース・ファン必聴のアルバムです。
そんな鳴瀬さんが。
偶然にも家が近所で、御子息・御令嬢が同級生だったという“奇蹟のPTA”つながりで、謝恩会に向けて(笑)最強タッグを組んだハードロック・キーボーディスト厚見玲衣氏と共に、ティム・ボガート・トリビュートバンドを結成し、自らの原点である、戦車のようなグルーヴと強烈なディストーション・ベースを放つ、“あの時代の” ティム・ボガート・スタイルに原点回帰されたのが、“TIMチョ&宴ROCKS”なのです。
「もはや。本人にもできなくなっちゃったんだから、このスタイルを伝承できるのは、世界にナルチョさんひとりだけしか居ませんっ! 」
「よぉーし、今日から俺を“ティムチョ”と呼んでくれ!」
学校の視聴覚室で行われた謝恩会のリハで「ベースの音量を下げてください」と叱られて、そのまま本番を欠席した筋金入りのハードロック・ベーシスト魂に火をつけてしまったPTA実行委員に我々ハードロック・ベース・ファンは感謝しなければなりません。
そしていつか必ず、御子息も分かってくれる日が来ます!
あれ?逸れた。
注)
ホントは体調不良で欠席されたんですけどね・・・。
なにせココは、筆者の妄想だらけのティム・ボガート・マニアックですから。(笑)
もしもジミヘンが今も生きていたら・・・
もしもジョン・ボーナムが今も生きていたら・・・。
それらはロックファンの間で永遠に語り継がれるテーマです。
勿論、タラレバ言っても仕方ない話ですし、正解は永遠に出ない論議です。
がっ!
もしもティム・ボガートが神通力を失わなかったら・・・
もしも、その後も進化し続け、神通力を発揮し続けていたならば!
その答えを、ボクは TIMチョ&宴ROCKS に見せていただきました。
ティム・ボガートに始まるハードロック・エレキベースの進化は、ティム・ボガート本人の活躍した60年代後期~70年代初期の約5年間に完成形に至ってしまい、それはあまりにも高度な技術と、圧倒的な個性に溢れていたがために、誰もフォロワ-として継承することができませんでした。最も悲しむべきは、ティム・ボガート本人も全盛期のパワーを維持し続けることが出来なかったということでしょう。もはや誰にも出来ない演奏スタイルとなり、絶滅危惧種レッドリストに掲載されるに至ってしまったのは仕方のないことだったのかもしれません。
そんな人類文化の危機的状況に、カクタスによって目覚めた(目が覚めた)青年・鳴瀬喜博君が、40年の時を経てTIMチョ氏に変身して立ち上がったワケです。
ティム・ボガートの提唱したハードロック・ベース・スタイルは、ティム・ボガート・チルドレンのTIMチョ氏によって未来へ向けて継承されてゆくこととなり、40年前にON TIME で体験できなかったボク達は、ようやく本物のハードロック・ベースを体験できる未来に辿り着いたのです。TIMチョ&宴ROCKSの名演を体験する度に毎々、ボクは自分に訪れてくれたこの未来に感謝の念を禁じえません。
と、同時に。
軽い三半規管の麻痺を伴いながら、遥かなる時を遡り、想うのです。
「この爆音ベースを、朝の目覚めに聴く人って!」
「一日中、この爆音ベースを聴いていた青春時代って!」
最っ高です。(笑)
誕生の裏に隠された驚愕の真実をチェック!