Egg Man 第 III 章 “Rock'n Roll”

ついに!念願のマークファーナーのライヴを見る為に。そして大親友のマークパワーさんに会う為に、ロサンゼルスへ向かう日がやってきました!

ここに至るまでに次々と起きた“奇蹟”と、行くぞと決めた経緯は、「第 I 章 Egg Man の奇蹟」 と、「第 II 章 Messege From Phoenix 」を読み返して頂くとして、いよいよ。
ロックの神様が書いてくださった“奇蹟のシナリオ”の最終章です!

ここに記したエピソードは全て、ほんとうに起きた話です。
4泊6日、怒涛の暴走機関車旅日記です。

【 初日  “Felling Alright” 】

今回も。旅の間中、膨らむ妄想で何度も何度も涙腺が破裂しそうになる感覚に襲われたのですが、振り返って考えると、それは家を出てから成田に向かうまでの車中ですでに始まっていて、モチロン10時間ものフライト中にもひとりでウルウルしている自分は、アキラカニちょっと気負い過ぎでした。(笑)

で。ロサンゼルスの空港に到着すると、一歩飛行機から降りた次の瞬間、当たり前だけど空港職員が全員アメリカ人で、案内板も会話も全て英語の世界が待っていて、もう途端に不安いっぱいになって、ようやく妄想モードから正気に戻るというか、妄想してる場合ではなくなるのです。

厳重な入国手続きで必ず訊かれる「何しに来た?」という審査官に向かって
「友達に会いに来た。一緒にロックコンサートを見に行くんだ」と場違いに元気な大声で答えてしまうボクは、
こいつテンションが変だと審査官でなくても見抜かれている。

「バンドの名前は?」

「Mark Farner of Grand Funk Railroad!」

ついでに訊かれてもないのに、

「Do you know Grand Funk ?」なんて話かけてみる。(馬鹿だ)

ところが、ナント!
バンハンビガロみたいな風貌の審査官が!
「I don't know」とつぶやきおった。

「コラ、お前、アメリカの玄関を担う立場で、歴史と文化と芸術の勉強もっとせんかい!」
って。そこはもうガツンとね。言ってやりましたよ!
通してほしいんで、日本語でだけど。(笑)

で、

「楽しめよ」ってつぶやいてくれたビガロさんに通してもらうと、いよいよ毎回最も緊張するシーンが待っている。
もしも。。。ゲートを出た先のアメリカ人だらけの人混みの中に、親友マークパワーが居なかったら。。。
往復の航空券(の、予約コピー用紙1枚)だけを握りしめて、ひとりで来てしまったボクは、考えてみたら空港から移動する交通手段を知らないし、宿も予約してない。(爆)

最も困るのは、幼児クラスのボクの英語を理解できるのは、この国には幼児クラスの担任の先生が職業であるマークパワーしか居ないのである。(笑)

ちなみにコレが彼の仕事道具の教材。
読んだらけっこう難しかった。(笑)

テナワケで、ゲートを出て彼の姿を探すボクの姿といったら、巣から出ちゃって焦って親鳥を探すヒナのようで、そこに、会いたくって会いたくって会いたくって仕方なかったマークパワーの姿を見つけると、そりゃもうね。ピーってないちゃいうワケですよ。

で。真っ先に向かったのは通称「ボク達の家」、Temple City にある彼の自宅。

 

今回出迎えてくれた楽器はコレ。

 

ブルースパークルのヴィンテージラディック・ドラムセットには美しい音色を奏でるヴィンテージの Zildjian シンバルがセットされていました。
そして73年製の極薄ネックに最近作ったレリック仕上げサンバーストのカスタムショップ製ボディを組み合わせたテレキャスターと、79年製ネックにEクラプトンモデルのボディを組み合わせたストラト。
早速、カタッパシから弾かせてもらうんだけど、こーゆーシーンではオキマリでGFRを弾いてしまう。(笑)
トイウカ、それしか弾けない。そんなボクの成長してない姿を彼はニコニコして眺めている。
最近手に入れたという手前のナショナル・リゾネーターギターの由緒ある弾き方を知らないボクは、ここでもガラガラとRock'n Roll Soul をかき鳴らしたのですが、いやはやそのラウドな爆音にはビックリ。

こりゃ住宅事情からして日本じゃ売れない。(笑)

最っ高!

おそらくボクを迎えてくれるために隅々まで掃除してくれたであろう彼の家は、ボクの大好きなバックヤード(裏庭ね)も、美しい景観の芝生も5年前のままだった。

この信楽焼のタヌキは日本が大好きなマークパワーのお気に入り。
酔っぱらっている姿が自分みたいだそうで4年前の来日時に買って帰ったんだけど、「ひとりぼっちでかわいそうなんだ」って言うんで、今回はメスの嫁タヌキをお土産に持って行ってあげた。

ちなみに彼はこのタヌキを“Badger”って呼ぶ。(穴熊のこと)

「これはタヌキだよ!」
「いや、この顔は Badger だ。」と。

家中のあちこちにボクへの気遣いが散りばめられていて、拙い英語では伝えきれないんだけど、ボクはそんな優しいマークパワーが大好きだ。
あ、もちろん彼は全く日本語が通じないので、毎回の事ながら全てを身振り手振りとテレパシーで伝えるしかなくて、おかげでタヌキの説明ひとつでも、いつもマンガのよーなドタバタ劇になっちゃうんだけれど、それもまた二人は楽しくて仕方ない。

で。

 昼飯を食べに出かけがてら、スケジュール的には今日が土産を買う唯一のショッピングデーとなりかねないので、車を飛ばして再びロサンゼルス中心街へ移動して、先ずは土産店の沢山あるユニバーサルスタジオCity Walk へ。。。

と。ここで!
ナント!
ユニバーサルスタジオ手前500メートルで、突然車が壊れてしまった!

キタ ───O(≧∇≦)O────!

で。結局こうなって。(笑)

レッカー車が到着するまで炎天下で1時間以上も途方にくれて、周囲には何もない路上(店はみんな閉まっていて、ほんとうに何も無い)に茫然と立ちすくむ2匹の “ Badgers ”(笑)

と。ヒョっと目の前の看板を見たら、見た事あるイラストが。
なんとエンコしたのは、有名なライヴハウスのベイクドポテトの真ん前だった。
で、はしゃいで写真を撮るボクと、泣き出しそーな彼。(笑)

なんかこれって、ロック系の神様が脚本書いてる匂いがプンプンする気がしてきたんだけど、よぉーく嗅いでみたら、炎天下で焦げた Badgers の汗の匂いでした。

後で気付くんだけど、ここで車が壊れると、LAでの移動手段を失い、(Temple City はハイウェイで1時間かかる郊外なんで)買い物どころか、翌日のサンディエゴにも行けなくなる可能性が十分あったワケで、一日 3,000円のレンタカー(円高に感謝)が借りられる事が確定するまで、マークパワーはずっと泣きそうな顔で悩んでくれていたのだった。

 

そうとは知らないボクは、巨大なレッカー車両(電車くらいのトラック)に、はしゃいで乗り込んで、助手席から景色を眺めていたらグランドファンクを世界に配給したキャピタルレコードのビルに歓声をあげちゃったりして。(笑)

 

レスラーみたいな体格のレッカーのおじさん(ボクより年下だろうけど)も、さぞ日本人は変だと思ったことでしょう。

で、

無事にレンタカーをGETできて、すっかり気を取り直した二匹の Badgers は、ガールフレンドのラファエラさんと、その姪っ子のイヴェッタちゃんを誘って一緒にディナー食べに行ったんだけど、メニューはもちろん、ドライブスルーのハンバーガー。

美しいブロンドヘアーの女性達と食べる巨大なハンバーガー。
アメリカ、最高だあ〜!(笑)

結局、夜中に帰宅して2人して明日のコンサートへの期待を語り会ってるうちに更に更に夜は更けて。(笑)
フェスティバルだから出演者は入れ替わりになるんだろうけど、ボク達だってこうして揃い踏みしたんだから、きっとマークパワーの神様であるデイヴメイソンとボクの神様マークファーナーがステージに揃い踏みするんじゃないか、その時に歌う曲は、きっとグランドファンクがカバーした Feeling Alright しかないだろう!とか、二匹の Badgers の妄想は果てしなく。(笑)

神様同士の共演によるコンサートの大円団を予想してるうちに興奮したボク達は、近くにあったギターを手にとって、永遠に終わらない Feeling Alright ジャミングを始めてしまって。(笑)
だって2コードの繰り返しだし、歌詞は覚えているから奪い合うように二人で交互に歌っては、サビをハモって、ギターソロを廻しあって。

で、演奏しながら心から思った。

楽器が弾けるのって素敵だな、世界の共通語なんだな。ギターは歌うためにあるんだ!って。
この素敵な体験に辿り着けたのも、全部グランドファンクのおかげだという事を感謝しつつ。
弾かせてもらった、限定生産のスペシャルGibson J200 はコレ。


写真の真ん中のギターね。他のアコギも素晴らしかった〜。

生涯忘れられない手触りとサウンドでした。
いや〜、初日から濃い濃い。(笑)

 


 

【 2日め  “サンディエゴの奇蹟” 】

いよいよ。7年ぶりとなるマークファーナーのライヴの日。

ロサンゼルスからサンディエゴまでは海沿いのルートで行けば車で3時間くらい(東京〜静岡くらい?)らしいんだけど、広大な荒野の景色を見たいボクへの気遣いで、遠回りとなる山沿いルートで向かうことにしてくれた。
久しぶりに目にした圧倒的なスケールの景色の中に身を置くと、自分の中のあらゆる価値観が変わっていくのが分かる。

あらかじめネットで調べておいてくれたインディアングッズ(ボクの趣味)の店や古着屋に途中寄り道しながら、荒野に点在する全く名前も知らない小さな街を訪れるのは、マークパワーとの旅の醍醐味。
もちろん二人共、ぜんぜん道も知らないし、カーナビどころかマトモな地図すら無いので(用意しといてよ〜)、よくぞ辿り着くというか、この国での長距離ドライブは技術よりも運の方が重要なんだと感じた。(笑)

ハタと。

もしも、昨日のエンジントラブルが、この荒野の真ん中で起きていたら。。。
間違いなく、まる一日足止めどころか、翌日のLA公演までも見れなくなってしまったであろう。
修理代を600ドルも払った彼には悪いが、ボクはほんとうにツイていると神様に感謝したし、なんだか守られているようにさえ感じた。

そういえば。

出発前日の日本で満員の通勤電車の中でスリにあい、カードも免許証も全てが入った財布が消えてしまって「なってこった!これでアメリカ行きが吹っ飛んでしまった!」と思ったら、その日に限って財布を家に忘れてきていて、スリが手を突っ込んできた、こじ開けられたカバンは最初から空っぽだったという「京浜東北線の奇蹟(笑)」っていうエピソードがあって、「ああ、きっとロックの神様に守られているんだ。。。こりゃオモシロがられてるな。。。」って思ったんだけど、その翌日にLAで車がエンコして、これまた「サンディエゴ行きがヤバイ!」って不安に駆られたアレは、まさに「ベイクドポテトの奇蹟」だったという事に、ここでようやく気付いた。(笑)
まあ、車がエンコして真っ青になったマークパワーの顔は、「京浜東北線の奇蹟」で、真っ青になったボクの顔と同じ色をしてたし。
ボクはけっこう冷静に「Hey 神様。またですか。でもその手にゃ乗りませんよ。」って思ってたんだけど、考えてみたら、あそこで壊れてくれなかったら、確実に、この荒野の真ん中のどこかで二人して真っ青になっていたワケで、やっぱりあれは、神様が守ってくださった「ベイクドポテトの奇蹟」だったのです。

で。5時間以上かけて走ったハイウェイに、いよいよSun Diego と書かれた道路標識が登場すると、やおら緊張してきて、 「今、ボクが居るこの街に、マークファーナーが居る!」って、もう、ビシビシとキシむような音を立てて五感が冴えまくり、物凄いエネルギーを感じたのでした。
「貴方のおかげでここまで来れました。」という声が何度も何度も頭の中に響き渡って、もうたったそれだけの理由で、まだ街に入っただけなのに、ボロボロ涙が溢れてしまって。
あんまりにも大袈裟な自分がちょっと恥ずかしくて、(でも、ほんとうにマークファーナーの存在を感じまくったんですよっ) 運転席の反対側に顔を向けて窓の外の景色を眺めているフリをしてたら、飛び込んできた景色はコレ。

ああ!子供の時に見た映画でジミヘンドリックスが奏でた旗だ。
そして、ザ・アメリカンバンド、グランドファンクの象徴の旗だ!

この場所へボクを導いてくれた初期衝動の象徴が、そこに輝いていて、これもまたきっと生涯忘れないであろう瞬間でした。
あわてて撮った写真はブレてるけど。(笑)

サンディエゴはマークパワーの生まれた街だと知り、今も残る彼の生まれた家や彼のお母様が愛した岬の灯台を訪問して、ボク達は何十年もの時間を経て、今ここに一緒に居る奇蹟を共有しました。

 

そしていよいよ。
コンサート会場であるSHELTER ISLANDに到着!(名前がカッコイイ!)

その名も Hippie Fest 2011!

もうマークファーナーはすぐそばに居る!
ビシビシと感じる〜!

今さらですが、正直に言えば。
エピローグ、「第 II 章 Messege From Phoenix 」 に書いた通り、ボクには「もしや」という淡い期待がありました。

がっ!

ようやく連絡が取れた現地で会おうと誓い合った友人からかかってきた携帯電話の内容は、妄想の通用しない厳しい現実だったのでした。
それは、このコンサートが多くのアーティストが出演するフェスティバルなので、アーティスト達は移動バスを共有しなければならず、恐らく終演後のスケジュールはFIXされているだろうという事。
そして事前申請の無いバックステージパスが入手できなかったという現実と、セキュリティが非常に厳しくて、全ての交渉が思うようにならないという現実。
ボクをバックステージに連れて行ってくれようとしてくれた友達は、申し訳なさそうにその事を伝えてくれたが、こーゆー時の為にボクは過度の期待を抱かぬように戒めてきたのであーる。(笑)
なにより、ボクはマークファーナーがステージで歌いギターを弾く姿を見る為に、ここに来たのだから!
もうね、それだけで充分なのであーる。

不思議なことに、立ちはだかる現実をリアルに感じる程に、これは夢ではなくて、ほんとうに今から遂に、マークファーナーのコンサートが見れるんだ!という嬉しさに満たされていく感覚のほうが大きかったのです。
ちょっとカッコつけて表現すると、エゴよりも感謝のほうがずっと大きかった。っていうカンジ。
自分でも不思議なくらい、ほんとうに。。。なんか周りの友達が皆でボクの手を引いてくれているようで、全ての出来事が優しさに溢れていて、その優しさに抱かれて安心していられる感覚の中に居るボクは幸せでいっぱいでした。

そして、日が暮れたステージに登場したマークファーナーの勇姿は、すべての雑念など吹っ飛ばすに有り余るモノをボクに与えてくれました。

「貴方に導かれて、ここに今、居ます!」
「貴方のおかげで、ボクの人生は、このようにあります!」

ステージ上のマークファーナーまでの距離は15〜20メートルくらいでした。
直接言葉では伝えられないと分かったぶん、強烈に放たれてしまう想いに溢れる中で、ボクは1988年の渋谷公会堂の客席で、全く同じ気持ちで居た事を思い出していました。(Peavy Impact ご参照)

そしてハッっと!

「ああ、あの日と同じだ!ほんとうに、ボクは原点にもどって来たんだ。」

と。

ちょっと短めのセットリストが終わると、ボクはもう堪えきれずにド派手に泣き出してしまいました。
両手で顔を押さえたまま、ほんとうに久しぶりに大声をあげてワーワー泣いてしまった。(恥ずかしい〜)
マークパワーが何度も何度も肩をさすってくれて。

あ、やべ。思い出すと泣く。(笑)

ようやく落ち着きを取り戻した頃、今度はマークパワーの神様であるデイヴメイソンがステージに登場して、素晴らしい演奏を披露してくれました。
そしていよいよ。やはりラストはデイヴメイソンのアンセム、Feeling Alright 。
ボク達の期待の通りに、ステージ上に再び登場したマークファーナーは、デイヴメイソンの代表曲をGFRバージョンのメロディで歌い、演奏に加わったのです。

その光景は、ボク達ふたりとっては正に奇蹟の光景。
グランドファンク と トラフィック。
マークファーナーとデイヴメイソン。

歴史的には全く接点が無さそうな2人の神が、今、ボク達2匹の”Badgers” の目の前に揃って降臨したのです。
ボク達は、まるで自分達が何かを成し遂げたかのように肩を抱き合い握手を交わしたんだけど、きっと周囲から見たら滑稽だっただろーな。(笑)泣くわ、笑うわ。

そういえば、その周囲の観客なんだけど。
なんてったって Hippie Fest ってなタイトルだから、ボクが憧れたあの時代の、アメリカの、かつてのヒッピー達がハーレーダビットソンにまたがって大集結するんだとおもいきやっ!

みーんな。
おじいちゃんとおばあちゃんになっていました。(笑)
みーんな60代。(笑)ほぼ全員。
こんな年寄りだらけのロックコンサート、日本では見たことない!
(そこんトコが、アメリカのロックンロール文化の懐の深さなんだと改めて感じたし、感動的ですらありました)
で、ロックフェスティバルなんだけど当然オールスタンディングじゃない。
だって無理。(笑)

ちょっと不満だったのは、PAシステムからの音響もあまりにも小っちゃい。
リビングでテレビ見てるんじゃないんだから。
どの位小さいかっていうと、リックデリンジャーの渾身のギターソロより、30メートル上空で「アホー」って鳴いたカモメの声のほうが良く聴こえるくらい。(実話)
こりゃ大丈夫かな〜なんて心配してたら、案の定マークファーナーの音も小さい。

がっ! 

Footstompin' Music で登場したマークファーナーが、ギターソロを弾き始めるや否や、「ちいせえぜ!これじゃロックンロールしねえ!」と言わんばかりに、いきなりツカツカってアンプに歩み寄って、ヴォリュームをガッってフルテンにしたのには、もうね、失神しそうなくらいシビれた。(笑)
そしたら御老人達も一斉に立ち上がってウォー!ってなって。
ロックンロールがジェネレーションを越えて老いた身体にエネルギーを叩き込む瞬間をボクは見逃さなかったし、これこそが本物のロックンロールなんだと改めて感じた。

で、その時にようやく気づいた。
彼らは、間違いなく、かつてのヒッピー達だ。

ボクが映画で見て感じたアノ時代のエネルギーが、確かに会場を支配していて、中学生だったボクは35年の時を経て、ようやくそこに身を置くという夢を実現させることができたのです。

よーく見ると観客のほとんどが御夫婦で来ていて、40年前のハードロックが響き渡る夕暮れの中で、どのカップルも肩を抱き合いキスを交わし、まるでタイムマシンで旅をしているような表情をされていました。
ほんとうに、LOVE & PEACE は、会場のそこらじゅうにあったのです。
40年前に、愛する人がこんなに太っちゃうとは思わなかっただろうケレド(笑)それはほんとうに素敵な光景でした。

そして。
太平洋に面したサンディエゴは昔から海兵隊基地の街です。
ボクが灯台へと続く一本道の両サイドに見たのは、丘を埋め尽くす何万もの白い墓石でした。

恐らく、この会場に集まった多くの方がかつて太平洋の彼方の戦地へと赴き、そして今、生き残ってここに集ったのかもしれません。
マークファーナーは、そんな彼らがかつて戦地で故郷に想いを馳せて聴いたであろう曲を力強く歌いました。

I'm getting, Closer To Home!

全てが奇蹟の夜でした。。。

 

もしも。。。

この後に起こる「ほんとうの奇蹟」が、もしも無かったとしても。。。!

そうなのです。
起きたんですよ!

ほんっとうの奇蹟が。

終演後、ボクをマークファーナーに会わせてくれようと友達は何度も何度もトライしてくれたのだが、バックステージ通用口に立ちはだかるボクの3倍はありそうな横幅の警備員は、それを絶対に受け入れてくれませんでした。(それが彼らの仕事だから仕方ないのです)

京都で預かってきたメッセージ(「第 II 章 Messege From Phoenix 」 参照)は届けられそうにないので、ボクはその友達に託すことで任務を完了しようとしたのですが、彼はそれを決して受け取ってはくれませんでした。

「それはエーチャンが伝えなきゃ。」と。

結局、ステージ上機材のかたずけも済み、客席フロアにはボクとマークパワー、そして彼の家族だけがポツンと残り、照明も消えてしまって真っ暗になってしまった中、「明日のロサンゼルスでもう一度トライしてみよう」と帰ろうとした、まさにそ瞬間!

「エーチャン! マークだよ! ここに居る!」

っていう叫び声が聞こえて、顔をあげて振り返ると、
そこにマークファーナーの笑顔が!
真っ暗なのに、なぜかそこだけ明るく照らされているように、ハッキリと見える!
バックステージにどうしても入れないと聞いて、お疲れなのにわざわざバックステージから出てきてくださったのです!
それがもし、あと30秒後だったら、ボクはもう会場を後にしていたタイミングだったのです!

がっ!

つまりボクは完全に緊張のスイッチをOFFにしていたワケで、(笑)
あまりの急な展開に、その輝く笑顔を見た瞬間に、ナニモカモ完全に真っ白になってしまったのです。
もう、何も言えないし、まさしく大失態!(爆)

しゃべろうとしてもほんとうに声がノドから出ない!
ウッ、ウッ、って、声を絞り出そうとしたら。。。。
声の代わりにブバババーって涙が絞り出ちゃって!
「いけない、泣いてはいけない、湿っぽくなってしまう!気を遣わせてしまう!恥ずかしいし!」って、
もうね、ウロタエまくりですよ。
で、「あの、えっと、あの、あの、うっ、うっ」って。
日本語と涙しか出てこないでいるボクは。。。ナント!
その様子を見て、笑顔で近づいてきてくださったマークファーナーに、いきなりガバって。

ハグされてしまった!!!!!

そしてそのままボクが落ち着くまでずーっと抱きしめてくださり、肩をさすり続けてくださって、
思い出すとそれはとても恥ずかしくて、きっと迷惑なくらいほんとうに長い時間だったんだけど、小さな声で「大丈夫だよ。全てわかっているよ。よくここまで来てくれたね。」って。
もう、その言葉が心に入った途端にボクはスーッと落ち着くことができて、ようやく我に返って「ひ、ひ、ひ、ひとつだけお願いがあります。」って搾り出すように切り出すことができたのです。

ボクは拙い言葉で、京都に住んでいる友達が大きな病気と戦ったこと、彼女がICU(集中治療室)から生還したこと、彼女が信じたのは貴方からのメッセージだったこと、そしてボクはその御礼の気持ちを伝えたいと願った彼女の代わりに、ここにそれを届けに来たという事を伝えて、それを受け取ってもらいました。

 マークファーナーはボクのデタラメな英語(アイム ライク ア メッセンジャーとか言っちゃって)を、ほんとうに丁寧に丁寧に聞いてくださいました。

そしてこれからも病気と向き合っていくであろう彼女に新しいメッセージを授けてくれたのです。
それがコレです!

もうどれだけ御礼を言ったのか、ちゃんと言えたのかもわからないくらいボクはこの奇蹟のメッセージを授かったこと、そしてこれを届ける為に日本に帰るという身に余る使命感に興奮しきっていたんだけど、フト気づくと周りの皆が、ボクをじろじろ見ている。

「お前はいいのか?」と。(笑)
でもさっき「ひとつだけお願いがあります」って言っちゃったし。(爆)
もうひとつ。。。って言いにくいし。(笑)
それに、また胸がいっぱいになっちゃって、もうしゃべれないし。。。

と。その瞬間。
「彼は貴方に会いたいから日本から来たんです。10時間飛行機に乗って、車で5時間かけて、さっきロサンゼルスからサンディエゴに着いたんです。彼はメッセンジャーギターをカバンに隠し持っている。どうか見てあげてください。そして彼にもサインを書いてあげてください。」

それは3歩下がってその光景を見ていたマークパワーの声でした。
そしてすぐにマークファーナーがボクに尋ねてくださったのです。

「今、ここにメッセンジャーギターを持ってきているのかい?」
「は、は、はいっ!」(←日本語)

ボクは慌てて背負っていたリュックサックからメッセンジャーを引きずりだしてマークファーナーに手渡しました。

実は。
ボクのマークファーナーギターコレクションの何本かには、これまでにメッセージを添えたサインを頂いていて、
そのそれぞれが、新たな奇蹟へとボクや周囲の友達を必ず導いてくだってきたのです。(それらの数々のエピソードはこのサイトに披露してきましたので探してみてください。)
で。最後にお会いできた7年前から今日までの間に、ボクは現在のメインギターとなる「マークファーナー仕様メッセンジャー」を手に入れ完成させたので、当然そのメインギターにはサインもメッセージも無いワケです。

「無いのが当たり前」であって、ギターにサインを書いてもらえるなんていう事自体が奇蹟中の奇蹟だって、
もちろん分かっていますが。。。

もしも。
もしもですよ。

もしまたお会い出来る日がほんとうに実現したら、ボクこのメッセンジャーギターに次のメッセージを頂きたいと、実はギターが完成して以来ずーっとずーっと願い続けて居たのです。
それを知っているマークパワーが、ボクの人生で最大のチャンスに、スーッと力を添えてくれて、その奇蹟が実現したのです。

そ、そ、それがっ!
こ、こ、これです!

へ?リュックサック?って思いましたでしょ。
こうやってネックを外して。(笑)

  

このリュックサックを着替え(下着)と一緒にスーツケースに押し込んで。(笑)
まるで純正のメッセンジャー専用ケースのごとくピッタリサイズのこのリュックサックは、10年くらい前にこの奇跡の立役者であるその友達からプレゼントしてもらったリュックサックでして、もちろんメッセンジャーを入れる前提で頂いたワケではないですし、入るとも思ってませんでした。
どうやって飛行機に乗って、どうやってコンサート会場に目立たぬように持ち込もうかを考えてたら、偶然にも彼がプレゼントしてくれたリュックがピッタリだったという。(笑)
なんだか全ての偶然が、よく出来たシナリオでつながっているみたいです。

御存知の方も居るかもしれませんが、このメッセンジャー。
ナント、マークファーナーの自伝を特集したインターネット動画番組 Mark Farner on Huckabee with Interview の中で、参考用として写真を使って頂いているのです。
それがコレ。

そうとは知らずに番組を見ていたので、もうね、椅子から転げ落ちるくらいビックリしました。
だって背景はボクんチなんですもん。(笑)
あー、ボクのギターやWESTアンプの写真を使ってくださってる〜!
って。(笑)
ね。それも夢みたいな話でしょ。

で。なんか勝手に、こいつが居てくれれば、きっと“縁”があるにチガイナイなんて思っちゃったモンで、もしかしたら。。。とか思っちゃって、リュックサックで背負ってサンディエゴまで持って来ちゃってたワケです。

でもほんとうにボクの夢は、ステージ立つマークファーナーの勇姿をもう一度見ることでしたから、それだけでもう充分でしたし、その夢が叶うだけでも凄い奇蹟なんです。

だって日本に居たら見れないし、そうたやすく休暇取ってお金かけてアメリカには来られませんから。
でも思い切って来てみたら、永年の夢が叶ってコンサートが見れて、更に凄い奇蹟が次々に起きたのです。
しかもそれらの素敵な奇蹟はどれもこれも、ボクが「親友」と呼ばさせてもらっている友達によって導いてもらえたのです。

ボクはこの惑星に、この時代に生まれて、
この世界の中で、自分の人生の中で、グランドファンクレイルロードと出会えて、

ほんっっっっっっとうに、良かったぁ!

Great Thanks, My "real good friend" Taisei Sohn.
I deeply thanks to all your support!

この奇蹟を実現させてくれて、ほんとうにありがとう!

 


 

≪Pray For Jesse Farner≫

ひとつ加えておかなければならない現実があります。
病気と闘い抜いて集中治療室から生還した友人の話を伝えるボクにはひとつの葛藤がありました。
既にマークファーナーのホームページで報告されている通り、最愛の末っ子ジェシーファーナー君は首の骨を骨折して今も集中治療室で闘い続けています。
「ボクの友達は貴方のメッセージを信じたのでICU(集中治療室)から生還した。」という言葉を伝えるのは、今も闘い続けている家族と共にあるマーク ファーナーにとっては、果たしてどう伝わってしまうのでしょう。
ほんとうに何度も何度も自問自答して考え抜き、きっと祝福してくださるに違いないと信じて行動してみた結論が、ここに書いた出来事の全てです。
目を輝かせ、真剣に聞いてくださり、心から祝福してくださったマークファーナー。
もしかしたら、病気と闘い続けた友人が伝えたいと願ったメッセージが持つエネルギーは、今度はマークファーナーの御家族に伝わっていくのかもしれません。

これを読んでくださっている皆さん、どうぞボクの願いを共有してください。
マークファーナーの最愛の息子さんが家に帰れる日を、どうぞ皆さんも一緒に祈ってください。
そしてそのイメージを信じてください。
それは必ず、絶対に伝わって実現します!

病気と戦った彼女からボク達は教わりました。
ICUは、命を繋ぐ最後の砦ではなくて、家族の待つ家に帰るための場所なんだと。

We're getting, Closer To Home!
Pray For Jesse Farner Facebook page

 


 

【 3日め “Live at GREEK THEATRE”】

その日の真夜中、ボクの人生観に大きな印象を与えてくれたサンディエゴを後にしました。
満天の星の下、真っ暗なハイウェイを約3時間走り続けてTemple Ctiy に日帰りしたのですが、家に着いてもまだ先ほどのガッシリしたマークファーナーの腕と胸の感触が身体中に残っていました。
男性諸君っ、男の腕の中でオイオイ泣いたことはありますかっ!?

ボクはあります。(笑)

全ての夢が叶ってしまったボクは、この時、世界最高の幸せ者でした。
いろいろな想い(妄想)から開放されたかのように、ほんとうに久しぶりに爆睡して迎えた翌朝は、アコギを弾きながら歌うマークパワーの歌声で目が覚めました。

曲は California Dreaming ♪
う〜ん、最高。

「エージの夢は全部叶ったね!」と、ほんとうに嬉しそうに喜びを分かち合ってくれて。
もしもバックステージに入れれば、彼だって彼の神様デイヴメイソンに会えたかもしれなかったのに、彼は少しも残念な顔をせずに、ボクに訪れた軌跡を心から祝福してくれました。ほんとに優しいんです。

神様はほんとうに居るし、願いは信じれば絶対に叶う。

その神様は、とても悪戯好きなんだけど、とても優しくて、なぜならば今日も。またボクはマークファーナーのコンサートが見れるのであーる!

この日のコンサート会場はハリウッドのグリークシアター。
会場へ向かう前、マークパワーはボクに素敵な出会いを授けてくれました。
その方はロサンゼルス在住の有名な日本人ギタービルダーの方で、ボクは日本の雑誌で既にお名前は知っていました。

Toru Nittono Guitar

 お仕事中の工房にお邪魔させて頂き、素晴らしいギターを試奏させて頂き、興味深いお話をたくさん教えて頂きました。
見事なマテリアルを全てハンドメイドで丁寧に仕上げた美しいギターは、日本からの注文も年間数本製作されているそうですが、その生産本数の少なさ(丁寧ゆえの宿命)から、恐らくほとんどの方は見たことも触れたこともないでしょう。

それがね。
すんごいんだ。

ほんとうに素晴らしいギターなんで、ここで素人のボクが説明しても伝えきれないんだけれど。
テレキャスターシェイプのボディにナイロン弦を張ったエレアコは、あのサンタナに絶賛され重宝されているという、素晴らしいサウンドと弾き心地のギターでした。
ナイロン弦を張ったエレアコとしては、ボクが知っている限り、世界一素晴らしい!

 ご存知の通りボクは楽器オタクでして、グランドファンクという特殊なカテゴリー(?)に人生を賭したもので、そのおかげでひとつだけ自分なりに確信を持っている楽器論があります。
それは、「神通力を持つサウンドを放つ楽器と、素晴らしいミュージシャンが出会う事で、音楽のパワーは何万倍ものエネルギーを放つ」という事です。
世界中でマークファーナーだけが使ったメッセンジャーのサウンドしかり、ストラトをマーシャルに突っ込んだジミヘンドリックスしかり。
TORU さんのナイロン弦ギターは、おそらくサンタナは、「誰にも気付いて欲しくない」と願っていると思う。(笑)
このナイロン弦を張ったギターの持つ特別な神通力を、世界中の人々が知れば、このギターはジミヘンの示したストラトキャスターサウンドのように、新たなるナイロン弦サウンドの指針となるんぢゃないかとさえ、ボクは思いました。(これは御世辞の類ではありません。)
もう一本、出来立てホヤホヤのエレクトリックギターも弾かせて頂いたのですが、これもまたウットリするような素晴らしいギターでした。

うーん、上手く説明できないんだけど。。。
美しいギターが上品なサウンドを奏でるんぢゃなくて、美しいギターがガンガン鳴るイメージ。
どこをどういじっても、常に極上のカッコイイ音が出る不思議なギターと申しますか。弾いていると気分が高揚するというか。。。うーん、いつもながら楽器の説明になってないな。(笑)

この前日に、マークファーナーに抱きしめてもらったボクが、御世辞を並べるオベンチャラ野郎で、知ったかぶりした勘違い野郎なのかどうか。
TORUさんのギターを弾いてもらえば、きっと、へえ、アイツの話はホントなのか。って証明になるな。(笑)

 もしもこの文章を読んでくださっている方の中で、TORUさんのギターの持つ“神通力”を手に入れられた方が居らしたら、是非、もっとちゃんと(笑)その素晴らしさを投稿して頂きたく、お待ちしています。
TORUさんの御人柄にもすっかり惹かれてしまったボクですが、ほんじゃオマエが買えよと言われると、ボクが唯一弾けるグランドファンクには、ナイロン弦の曲が無い。(笑)
それにボクは素晴らしいミュージシャンじゃないんで、何万倍ものエネルギーは放てない。(笑)
TORUさんのギターは、選ばれし才能と出会うべきだと、ほんとうにそう思っています。
正直に言うと、すんごい欲しいけどね。(爆)

マークパワーの車の修理が済んだとの連絡が来たので、取りに行ったり、レンタカーを返却したり、すったもんだしてるうちに、すっかり陽が傾いて、いよいよHippie Fest 2011 会場、グリークシアターへ。
このグリークシアターは、1997年にグランドファンクレイルロードが再結成した時に出演したGFRファンにとっては由緒正しき思い入れ深い会場なのです。

 

写真は一緒に行ったラファエラさんと。
このTシャツを着ていると、もうそこらじゅうの GRAND FUNK RAILROAD ファンから声をかけられるという、これはボクにとっての魔法の衣装。(笑)

サンディエゴは会場も狭かったし、観客もリゾート気分っぽい老夫婦ばかりでしたが、ここはさすがロサンゼルスのハリウッド。
当時のヒッピーファッションをまとった観客もチラホラ居ます。(歳はやはり御高齢だけど)
会場の空気はこっちのほうがちょっとだけロックフェスティバルっぽい。(笑)
前日PAサウンドが余りにも“お上品”だったので、よく見たら、マークファーナーのアンプ(Fender Twin Reverb)が2台に増えている。やっぱり御不満だったのだろう。

今の時代はPAで増幅するのを前提に、小さなアンプを小さな音で、しかもスイッチひとつでたやすく歪ませた音を上質なギターサウンドだと勘違いしているライヴをよく目にするんだけど、(この日の出演者にも居ました)それじゃロックンロールにならないとばかりに、容赦なくアンプを増やしてステージ上の音量を落とさなかったマークファーナースタイルに、ボクはこの日もシビれまくりました。

サンディエゴより1曲多かったセットリストでしたが、それでもやはりボクにとってはあっという間の至福の時でした。
前日、みっともないほどに散々泣いたので、この日は泣かずに落ち着いて見よう。弾き方を学ぼう、エネルギーを受け取ろうと意気込みすぎたせいか。。。最後に語りかけるように歌ってくださった CLOSER TO HOME(これもボクは生涯忘れない最高の演奏!)が終わると、コラエきれず。(笑)
またしても、一緒に来ていたラファエラさんとマークパワーの2人に抱きついて大泣きしてしまった。
ボクよりもずっと若い女性に「よしよし、よかったね。」って頭をナデられて、大反省しきりっ。(恥っ)

この日もデイヴメイソンとの Feeling Alright で大円団を迎え、これが見納めとなるマークファーナーの勇姿を濡れた両目と脳裏とHeart にガッチリと焼き付けて、夢のような2日間、ボクのHippie Fest は終わりました。

この日もまた「もしや。。。」との期待があったのですが、サンディエゴとは比較にならないセキュリティの厳しさに退散を余儀なくされ帰路につきました。
しかし、「必ず再び」という強烈な想いで満たされていたボクはウルトラ大満足だったことは、もうお分かりですよね。

ハタと。

もしサンディエゴでのあの奇蹟がなければ。
もしも「ロサンゼルスがまだある」と早々に諦めていたら、もしもあと30秒ズレていたら。。。
ロサンゼルスではお会いすることができなかったので、つまり、あの奇蹟は、ほんとうにボクの人生に中でワンチャンスだったという事に、この時点で気付いたのでした。

「サンディエゴの奇蹟」

正に、Magic Markie マークファーナー!

その名は、ボクの敬愛する神様の名前です。

 


 

【 最終日  “Closer To Home”】

サテ。4泊6日の怒涛の旅も最終日です。
朝、叩き起こされると「山を歩こう」と誘われて、Temple City を見下ろせる山へ突然の登山。(笑)
大自然の森の中を1時間歩くと、そこには美しい滝がありました。
「これを見せてあげたかったんだよ」って。


熊とかマウンテンライオンとかガラガラヘビとか、あちらこちらに「出没注意!」って書いた看板があるんで、なんか日本のハイキングコースよりは緊張しました。(笑)
これもボク達には最高の思い出。

で。昼食を食べに山から下りて、向かった先はボクのリクエストで、ココ。(笑)


「なんでデニーズなんだ?」
日本でもしょっちゅうされる質問を、ここロサンゼルスでもされて。(笑)
答えは、ロサンゼルスにあるからじゃん!ねえ。

さてさて。マークパワーの驚愕の楽器コレクションは、以前にも紹介したんだけど、
http://grandfunk-maniac.org/mark/west_8.htm#MarkPowerCollection

自宅の一室は高価なスタジオ機材も揃っていて、ヴィンテージ楽器にスタジオ機材と、ボクの興味を駆り立てるオモチャだらけなのです。

ここでいろいろ機材のレクチャーを受けたんだけど、不思議と楽器の説明となると、あきらかに到着時よりスピードの上がってきたマークの英会話(笑)も、ほとんど理解できる。

「マークファーナーはマイクは何を愛用しているんだい?」
「え?マイク? アイドン ノウ」
「いっかーん。エージ、マイクを学べ。とても大事だぞ!」

と、ボクを叱るワケは、この自慢のテレファンケンのヴィンテージマイクを手に入れたからにチガイナイ。(笑)


楽器オタクの道は果てしない。(笑)

 

 その夜の“最後の晩餐” は、マークパワーの友達が遠路遥々集まってくださって、大バーベキュー大会を大好きなバックヤード(裏庭)で開催してくれました。
“大”ってつくのは、全てアメリカンサイズ(←和製英語)だから。
喰いきれんっ。(笑)

身長が2メートルくらいある巨漢のホセさんは、楽器は何でも弾けるという音楽学校の講師で、超有名なバンドのサポートもしている凄い方。

遅れて来てくださったケビンさんは、もう毎回LAに行くと必ず会いに来てくれるプロドラマー。

「オレは1971年にグランドファンクを見たぞ。大ファンだったんだ!」って、いつも嬉しそうに当時のお話をしてくださる。

ラファエラさんと、もう一人の姪っ子のジェニファーちゃん(18歳!)も来てくれて、盛り上がれば最後は当然のように大セッション大会になって。
ホセさんがマークパワー所有のVOXヴィンテージオルガンを弾いて、(何でも持ってんなー。)左手でファンキーなベースラインを弾くと、ケヴィンさんがヴィンテージラディックに座り、本物のエイトビートを叩く。

「エージ! グランドファンクをやろう!」

それはほんとうに至福の体験でした。
そして、最後はマークパワーがギターバトルを挑んできて、もちろんボクは女の子達の前でタジタジにされちゃって大ピンチに晒されるんだけど、そこはもうね、一発逆転を狙うには一芸。これっきゃない!

芸は身を助く。(笑)

ほんとうに楽しくて、いろいろな事を学んだセッションでした。
あっという間に時間が過ぎて、皆さんが帰路につく時間となり別れを惜しんでいたら、ケヴィンさんがこう言ってくれました。

「グランドファンクは最高だよな。ドンブリュワーはけっしてテクニカルではないし、彼の叩くドラムを叩けるドラマーは沢山居るよ。だが、あの強烈なグルーヴは、彼にしか出せない。他のどんな有名なドラマーが叩いても、どんなにテクニカルなドラマーが叩いても、決してあのグルーヴは出せないよ。ほんとうに良いロックドラマーだ。そしてマークファーナーの歌、ギターの上手さは驚くべきものだよ。メルのベースもそうだ。あの3人がひとつのバンドに集まったなんて“奇蹟”だよ。エージ、グランドファンクは本物だ。彼らは素晴らしいロックバンドだよ!」

ボクがこの旅で再認識してきたものは、この夜、楽器を通じて共有しあえて、それをケヴィンさんが言葉にして語ってくださったように感じました。

 

そして、翌朝。
今度はボクの Closer To Home です。
この家に、また戻ってくると固い約束を交わし、家路へと。
お互いに空港まで我慢したのですが、いつものようにマークパワーとの別れはやっぱり涙が止まりませんでした。

Mark-san !
I thank for all of a miracle !
Arigatou !!

 


 

【 後書  “Rock'n Roll”】

夢のような4泊6日暴走機関車の旅を終え、これにて終了〜。
と思ったら。(笑)
帰国後に、またまた小さな奇蹟が起こりました。

それは、マークファーナーのサイン&メッセージをもらえた事を内緒にして驚かそうと、帰国早々に宅急便でMAKOさん宛に発送した翌日の出来事。
午前中、早くもMAKOさんからメールが着信。
もう荷物が着いたのか。と思いきや、「無事に帰りましたか?会えましたか?」と、どうやら宅急便はまだ届いてない様子。
せっかく驚かそうと早々に発送したんだし、ネタバレせぬようサテなんと返事を書こうかと悩んだあげく、「あとで行きます。(笑)」 などと意味不明の文章を送信したところ、
その1分後に、「今、宅急便が届きました!」 との返信が。
「よっしゃ。クロネコヤマト、グッドタイミング。グッジョブ!」などと、グっと拳を握りしめてニヤけていたものの、MAKOさんへのインパクトは予想以上だったようで。(笑)
山ほど御礼の言葉をいただいて、とてもとても喜んでもらえました。
これぞ、「クロネコヤマトの奇蹟」 とでも名付けましょうか。(笑)
ほんとうは、ボクのほーが、この素敵な運命に導いてもらって、体験させてもらえて、大切な事を学ばせてもらえたんだけどね!

この奇蹟だらけのストーリーを、最初から最後まで全部読んでくださった方は恐らくお気づきでしょう。

  • マークファーナーからMAKOさんへのメッセージが、「 Keep Rockin' 」 であり、
  • ボクが頂いたメッセージが、「Rock'n Roll 」であり、

この、マークファーナーの記した “Rock” とは、つまり“人生”の事を称しているようにボクは想うのです。
Keep Rockin' とは、病気から生還して取り戻すことのできた “人生” を、これからもがんばって保っていきなさいという意味なんじゃないかな。と。

そして、ボクに対しては、「ここが人生の頂上でも終着駅でもないぞ、オマエはもっともっと先まで、これからも転がり続けいくんだぞ。」 と。
そうおっしゃってくれているように強く感じるのです。

ボクは音楽の持つ特別な力を信じています。
それは、Magic Markie こと、マークファーナーと、ロックの神様がボクに与えてくれた真実だからです。
そしてまたいつか、必ず。

ボクは、この旅で出会ったみんなと、また会える日が必ず来ると信じています。

だって、ここに、そう書いてあるから!

 

Witten by Eiji Farner

BACKHOME