記録的暑さとなった2011年夏。38年の時を経て、満を持して結成されたTIMチョ&宴ROCKSへの鳴り止まぬ喝采に応えるべく、急遽組まれた追加公演は、残暑どころか猛暑ともいえる晴天となったこの日、国立競技場目黒支店・屋内アリーナで行われました。
約40日ぶりに集結した各メンバーの表情は、一様に豪華サマーバケーションで養われた鋭気に満ち溢れ、この日の公演を指折り数えたファンに以上にメンバーの気合も凄まじいものがありました。
なぜならば、この日の公演を最期に、“第一期”宴ROCKS で、カクタスのピーター・フレンチを生き写したかのような素晴らしい歌を聞かせてくださった生沢“AIK”祐一さんが自らのソロ活動に専念されるために“円満”脱退されることが既に決まっていたからです。
この日を迎える一抹の寂しさと、約40日間もの「TIMチョぎれ」への飢えに、約束の時間よりも30分も早く、“JEFF”を迎えに行ってしまった“TIM”の心情は周囲の誰もが察するに余りあるものがありました。
そしてそんな焦る“TIM”の心情を察し、炎天下20分も家の前で還暦を過ぎた鳴瀬喜博氏を待たせて、自らの身を清めた(朝シャンともいう)“JEFF”の、まるで宮本武蔵のような心境もまた筆舌に尽くし難いものがありました。
もう少しで熱射症で倒れるかと。(爆) 一緒に待ってたボクまでも。(笑)
結局、予定時刻よりも30分も早く会場入りした、鳴瀬喜博氏(脱水気味)、厚見玲衣氏(空腹気味)、北島健二氏(スッキリ)でしたが、けっしてサウンドチェックもそこそこに叙々苑の牛丼ランチを目的に時を急いでいたワケではありませんでした。
この日の厚見氏は本物のヴィンテージ・ハモンドオルガンB-3 と、Fender Rhodes スーツケースピアノ(初期型)を配し、バンドサウンドの半分を爆音ベースで埋め尽くすTIMチョ氏に対抗すべく、ステージの約半分を自らの使用する機材で埋め尽くしたのでした。
この時点で、「オレの立ち位置がないじゃないか!」と叫ぶ鳴瀬氏。
そんな状況下、愛器TAMAドラムセットを持参し定時に会場入りした城戸さんは、自身のセットに厚見氏所有のヴィンテージ・ラディックの24インチ・バスドラを加え、宴ROCKS初となる、まるでカクタスのカーマイン・アピスのような巨大なツーバス・ドラムを、容赦なくステージ上に配したのですから、これはもう開演前からTIMチョと化した鳴瀬さんの取る行動はひとつしかありませんでした。
「もっとでっかいスピーカーキャビネットに交換してくれ~!」
結果的に、この日のライヴはベースが「生音のみ」となり、ハードロックベースファンにとっては至福の体験となりました。
ちょっと補足します。ここで言う「生音」というのは、TIMチョ氏の弾くベースのピックアップ(マイク)が拾った信号を、TIMチョ氏の背後に配した「アンプ」のスピーカーから出力した音のことです。あまりにも「アンプ」から発せられるベースの音が大きかったので、ステージの両サイドにあるPAスピーカーから出す必要がなかったということです。
ベースの場合は、ステージの両サイドにあるPAスピーカーにダイレクトに信号を送り込んでお客さんに聞いてもらうのが、「今の時代の常識」ですが、ティム・ボガート大先生が世の中を統治していた時代には、そんな方法はありませんでした。先ず、アンプから音を出して、もし音量が足りなければ、アンプの前にマイクを立てて、マイクで拾った「アンプの音」をPAスピーカーから出したのです。つまり、観客の聞くベースサウンドというのは、必ず、アンプのスピーカーから出た音であり、エレキベースとアンプが組み合わさることで、ひとつの楽器だったワケです。
なので、ベース本体同様に、各社のアンプにもそれぞれに、楽器としての“音色”があります。アンプから放出された音(空気の振動)は、TIMチョ氏の身体を包み、さらにはベース本体を包んで振動させるので、TIMチョ氏が弾くベースのピックアップが拾っているのは、「弦の音」ダケではなく、この空気振動も拾って、再びその信号をアンプに送り込むのです。
そんなヨケイな空気振動はイラナイ、きれいに弦の音だけ再生したいと考えるならば、「信号」だけPAスピーカーに送り込めば良いワケで、でもそれじゃティム・ボガート・スタイルのハードロックにはならぬのです。PAスピーカーから出てくる音は、むしろ「コンサートホール(会場)の音響装置の音」であって、アーティストの音とは言い難いワケです。(←それがダメって言ってんぢゃないですよ。それがお好きな人はティム・ボガート以外の音楽をどーぞ。という話です。)
このアンプとベースを組み合わせた“楽器”を、最高のサウンドとテクニックをもってコントロールして、世界中に衝撃を与えたのがティム・ボガート大先生であって、「家でべースを弾くのが上手いダケ」では、絶対にあのプレイは再現出来ないのです。
これまた体験しないと伝わりにくい話なのですが、この「爆音の空気を制する」のは、技術と経験、さらには体力と精神力を要求されます。演奏に集中したいならば、音量を下げて、丁寧に、“楽”にやればいいのです。もんのすごい疲れるのです。何十倍も疲れるのです。だから若いうちは出来て、歳をとると誰もやらなくなるのです。(やれなくなる。という方がむしろ正しい。)
ほいじゃ、TIMチョさんは、なんでそんなことをするのか。っていうと、もちろん「ティム・ボガートがしてたから。」っていう理由なんですが、つまり、それこそが、
「ティム・ボガート愛=ティム・ボガート・マニアック」
ということなのです。
そのティム・ボガート本人も、歳をとってやめたのに(笑)、「若いときのティム・ボガートに負けちゃおれん。」という還暦を過ぎたTIMチョ氏の凄さ!
余談ですが、ギターの神様と呼ばれるジミ・ヘンドリックスも同じくエレキギターとアンプを組み合わせた“楽器”を駆使し、地球上で最初に圧倒的なサウンドとテクニックでそれらをコントロールして世界をひっくり返してしまったのは誰もが知るところです。(勿論、唯一無二の素晴らしい音楽も“神”たる所以です。)
このような説明を必要としない、ジミ・ヘンドリックス。
これからTIMチョ氏によって、説明が必要なくなるハズの、ティム・ボガート。
「ベース界のジミヘン」と呼ばれ神格化されても不思議ではなかったティム・ボガートですが、何故か両者の評価には大きな隔たりがあります。
当時をよく知る鳴瀬喜博青年によれば、「全盛期のティム・ボガートは、本当に凄かったんだよ。なのに神にはなれなかった。当時はね、ティム・ボガートは酷い風評にさらされていたんだよ・・・。なぜなら、踏み潰した相手が、世界最高のギタリスト、ジェフ・ベックだったから! 踏んじゃいけない相手を踏み潰したんで、BBA解散後に世界中から喝采されるアルバムを作ったジェフ・ベックの評価が上がれば上がるほどに、「BBA時代は酷い目にあった」「BBAはジェフ・ベック不遇の時代、キャリアの汚点」みたいな言われ方をされてね。ほいで責任とらされて神になりそこなっちゃったんだよ。踏み潰されたほーが悪いんじゃん!」とのこと。
つまり。もしもジミヘンのベーシストのノエル・レディングが「ベース殺人者の凱旋」とかいうアルバムで全世界から絶賛浴びてたら、ジミヘンだってどうなっていたか分からなかったワケです。
と、ここまで書いて。思いだした!
あった。あった。そーゆーシーン。
TIMチョ氏が、まだナルチョ氏を名乗っていた去年の11月。場所は偶然にも、この日と同じ目黒BAJ。20年ぶりの再結成を発表した日本最高のハードロックバンドVOW WOW のライヴまで、あと一か月と迫ったあの日。今ではトレードマークとなったティム・ボガートスタイルのTIMチョ・モデル・プレシジョンベースを、当時入手したばかりで興奮の抑えられないナルチョ氏。
その誕生日のお祝いに駆けつけた VOW WOW のメンバーを、爆音ベースでいきなり踏み潰そうと。(爆) 何が起きたか分からずにパニックに陥る 「VOW WOW を期待して集まった」 ファン。(笑)←ボクも。ナルチョ氏のバースデイ・ライヴに集まった観客の誰もが衝撃を受け、逃げ惑い、でも踏み潰されてしまった、あの“暴挙”こそが、TIMチョ誕生の瞬間であり、それこそがティム・ボガート・スタイルの真髄であったことは、耳鳴りの治まった今にしてようやく気付くワケです。
いきなり踏み潰そうとしたナルチョ氏もナルチョ氏ですが、その足に噛み付いて絶対に離さない VOW WOW メンバーとの壮絶なる“スペースの奪い合い”は凄かった!
あの日の両者互角の攻防を思い起こせば、タシカニ。「踏み潰されたほーが悪い。」という鳴瀬喜博青年の言葉には“重み”があります。
ひとり vs 最強VOW WOWトリオ。
で、互角・・・(笑)
もし、あの場にジェフ・ベックがひとりでお祝いに来ていたら、おそらくナルチョ氏に・・・(笑)
ありゃ。前述の、「ベースのキャビネットを交換してくれ」 っていうエピソードを、ちょっとだけ補足しようとしたんですが、なんだかちっともライブ・レポートが始まりませんね。
では。ちゃんと。(笑) この日お披露目となった衝撃的な新セットリストについて。
Definitely Maybe (Jeff Beck Group)
スライドギターとワウワウ・ペダルを駆使したジェフ・ベックの名演。この曲での北島健二さんのワウワウ・ペダルのニュアンスが余りにもジェフ・ベックに似すぎていて、一瞬レコード(CDにあらず)が、かかっているのかと、本気で勘違いしそうになったのはボクだけではなかったハズです。
We Are The Champions (Queen)
この日が最期となるAIK生沢さんのリクエストで披露されたこの曲は、間違いなくこの日のハイライトシーンでした。まさに “TIM ザ・グレート”、ハードロックベースの王者、ティム・ボガートを賞賛するかのように高らかに唄い上げられたQUEENの名曲は、もしもQUEENにティム・ボガートが就職していたら・・・という凄まじい妄想を伴った感動に包まれました。
ボトムの効いた演奏に生沢さんの強烈な雄叫びが相まって、この日この演奏を体験した誰もが生沢さんの脱退を心から残念に思ったと思いますし、必ずまたこのメンバーが再び揃う日が来ることを確信した瞬間でもあったと思います。生沢さん最高! 素晴らしいハードロックを体験させてくださり、ほんとうに有り難うございました!
Black Cat Moan (BBA)
北島“JEFF”健二さんのヴォーカルによるこの曲は、BBA LIVE で唯一、ジェフ・ベックがヴォーカルをとった曲です。AIK生沢さん脱退が決まり、肩を落とすメンバーの中、「よし!これからはオレが歌う!」と北島さんが言ったかどうかは定かではありません。ギターが“BBAまでの”ジェフ・ベックそっくり。アドリブがそっくり。ワウワウがそっくり・・・。そしてナント。歌声までもがそっくりだったのには、この日集まった約70万人のハードロックベースファン全員が驚きを隠せませんでした。
生沢さんが脱退しても、TIMチョ&宴ROCKS によるティム・ボガート布教活動は、これからも続いて行くんだという“叫び”を、新しい選曲は物語っていました。まるでロッドスチュワートが去ったジェフ・ベック・グループが、第二期ジェフ・ベック・グループとしてさらにカッチョ良くなったように、第二期TIMチョ&宴ROCKS への予感は、既にこの日の観客の誰もが感じ取っていたハズです!
この日も素晴らしい演奏を終えた宴ROCKSでしたが、終演後の打ち上げは心なしかやはり感慨深いものがあったようです。明るく場を盛り上げる鳴瀬さんに、厚見さんがポツリと。
「鳴瀬さん・・・ ボクは今日は・・・
ほんとうに楽しみにしていたのに・・・
牛丼弁当が焼肉弁当になってて、ガッカリですよ!」(爆!)
サテ。ここまでが第一期 TIMチョ&宴ROCKS のライヴレポートとなります。
ここでまたしても脱線して。(笑)これまで密着取材させていただいてきた筆者(←って固いので、ボク)が、この日を迎える少し前に、TIMチョ&宴ROCKS の“ほんとうの凄さ”に、今さらながらようやく気付いたという話をさせてください。
私事なのですが、宴ROCKSの活動が休止していた8月に、ボクはマーク・ファーナー(グランドファンク)のライヴをアメリカに見に行ってきたのです。ボクのマーク・ファーナー愛をここで語ってしまうと、全く話が進まなくなるので(笑)、おヒマな方はコチラの“GRAND FUNK MANAIC”っていうオタクサイトをご覧いただくとして・・・
この夏、ボクがアメリカで見たマーク・ファーナーのコンサートは、ほんっとうに凄かったのです。今年63歳になるマーク・ファーナー尊師の発する圧倒的なエネルギーと躍動感、強烈なパワーをしこたま浴び、そして思ったのです。
「還暦を過ぎて、こんなにも凄いエネルギーを発散し続けるって、なんて凄いことなんだろう。皆が歳と共にレイドバックしていく中、たった一人、今もアノ時代のハードロックを、より激しさを増して!」と。
そのときのアメリカ旅行記を書き記したコラムは、コチラ。
これを読んでいただけると、本物の音楽の持つ、“特別な力”をきっと信じていただけると思います。ここに書いた、ほんとうに起きた“奇蹟”の話は、TIMチョ&宴ROCKS ライヴレポート 7月21日 京都 RAG に記したサイドストーリー“Message from Phoenix”の続きなのですが、TIMチョ&宴ROCKS によって導かれたエピソードが、ボクの身にどんな“奇蹟”を起こしてくださったのか、その一部始終を書き記しました。
信じられないような体験をして帰国したボクは、何度も何度もマーク・ファーナーがステージの上から授けてくださったエネルギーの凄さを思い返していました。それは会場中の観客の誰もがHAPPYな気分に包まれ、遥かなる若かりしアノ時代に想いを馳せ、忘れかけていた初期衝動や失いかけていたエネルギーを呼び起こす力に溢れていました。
ボクが見に行ったコンサートはフェスティバルだったので他にもベテラン有名ミュージシャン(皆が還暦)がたくさん出演していました。しかし、そんなエネルギーを発揮していたのはマーク・ファーナーひとりだけでした(これは、ひいき目ではなく、他の観客も皆、そう言っていました。むずかしい話じゃないんです。圧倒的であり、なおかつわかりやすく、誰もがすぐに感じたハズなのです)。
マーク・ファーナー・ファンのボクは少し誇らしげでした。「還暦を過ぎて、こんなパワフルなハードロックをやり続けているマーク・ファーナーを好きになってよかった!」って。
そして同時に。目の前で躍動する63歳のマーク・ファーナーを見ながら、ボクはこうも思いました。
「ボクはもうすぐ48歳だ。今のボクは大好きなハードロックを演奏するのが大好きだけれど、今から15年も先の未来でもまだ、これほどまでに激しいハードロックを演奏したいと思えるだろうか・・・。33歳だった過去の自分は、今日に至るまでの15年間、日々の生活の中で少しずつ疲弊して、体力も気力も衰えたじゃないか。これからの15年間は、これまでの15年間よりもさらに体力は落ちていくんだろうな・・・」 と。
でも考えてみれば、このフェスティバルに出演しているベテラン有名ミュージシャン全員が老いているんだから、それは「普通」のことであって、つまり「特別」な、マーク・ファーナーって、どんだけ凄いんだ!というハナシであって、自分の周りにいる「還暦」の方々に、エレキギターと爆音のアンプを背負って、ステージの上で暴れまわって観客を魅了しろ!って言ったって、そんなこと出来る人なんて世界中探したっているワケ・・・って!
あーっ!
ここでボクは、ようやく、気付いたのです。
(コレ読んでる皆さんはとっくに気付いてましたね。)
まさしく、この感じ・・・もう一人!
圧倒的なエネルギーと躍動感、そこにいる全ての観客をベースでHAPPYな気分にしてしまうベーシスト。 もんのすごい疲弊(=おにょろべっちょろ)するのに、アンプの音量は常に爆音。 いくらでも“楽”に弾けるのに、あえて世界中のベーシストが裸足で逃げ出したティム・ボガート・スタイルで、強烈なへヴィ・ハードロックに徹底してこだわるという・・・。
アメリカまで行ったけれど、マーク・ファーナーひとりしか、そんなスタイルをやり続けているハードロッカーには出会えなかったけれど、日本には、鳴瀬“TIMチョ”喜博さんが、いるじゃないか!と。
還暦を過ぎて、こんな凄いエネルギーを KEEP し続けているのは世界中に唯一、マーク・ファーナーだけだと、ほんとうにそう思ってました! この夏にTIMチョさんがライヴで見せてくださった全てのことが、どれほど凄いことなのか。自分自身が3回目の成人式を迎えるまで、危なく気付かないトコでした。
そして、アメリカまで行かなくても、こんなに身近な日本で、ボク達は皆、TIMチョ&宴ROCKS のライヴを体験できるのですから、それは本当に神様に選んでもらえた幸運だと気付きました。しかし、「いつでも見に行ける」なんていう考えは間違っています。もはや世界中探しても、こんな凄い生き様をされている本物のハードロック・アーティストが見れるのは、まさにこの一瞬、一瞬にしか存在しないということを忘れないでください。
どれほどのエネルギーを要求されるのか、そこに向かう精神力は、どれほどの物なのか。貴方自身が還暦となる日を想像しながら考えてみてください。もしも明日、天災が起こっても。もしも怪我や病気で体調を崩されたとしても。何が起きてしまっても、こんな“誰にも出来ない生き様”を、強烈な音楽で見せて(魅せて)くださる奇蹟の瞬間は、2度と体験できなくなってしまうのですから。
還暦を迎えられて、これほどまでに強烈なへヴィロック・スタイルへと回帰された鳴瀬喜博さんの凄さ。圧倒的なエネルギーを発散しての強烈なライヴを実践するその意味を、我々ファンはあらためてもう一度再認識して・・・
7月16日八王子XYZ のデビューライヴ・レポートから、
もう一度読み直さねばなりませんっ!(爆!)
で。そんな風に思っていたら・・・
この後に、最終追加公演・大船HONEY BEE で、
信じられないような“奇蹟”の光景を、
ボク達は体験することになるのです。
ムフ。
やっぱり。
ハードロックの神様はいるし、
この世界は、全てがつながっているんですね。
Written by Eiji Farner