ベーシストがデニス・べリンガー氏に代わっていたことも衝撃でしたが、翌年の来日公演で披露されたステージ風景もまた、往年のGFR機材オタク(って当時居たのかな?)にとってはおそらく衝撃だったと思います。 バンドはそれまでの使用機材を全て一新していたからです。 マーク尊師は、超メジャーなフェンダー社製ストラトキャスターを抱え、デニス氏は見たことないベースを抱え、(←S.D.カーリー)、オルガンはハモンドB-3がKORGのBX-3となり、アンプは当時はまだ誰も知らない“幻のWEST”から、誰もが知ってる Peavy の新製品になり、ナニモカモが一新された紛れも無く新しい時代の新しいスタイルのGFRが登場したのでした。 注)カクイウ私も、この'82年の武道館で初GFRを体験するワケですが、当時は現代のように機材に関する情報はほとんど無く、しかもGFRの武道館公演を密着取材した雑誌は皆無だったので、ここに書く内容はその後の28年間での研究・検証を元に書いています。 時代が“本物”のハードロックに全く関心が無かったワケです。(笑) チクショー! で。そんなお色直しの済んだGFRの中で、唯一。変わらない光景(オオゲサだな)とも言えたのは、ドン・ブリュワー大先生のドラムセットが、変わらずに“Ludwig”であった事です。当時のロックドラマーがナニカトお徳なエンドースメント契約を求めて、こぞって日本製のドラムメーカーに乗り換える中、カタクナにUSA製ラディックにこだわった、“The American Band” ドン大先生。 おっと。バレました。
近年になって、ネット上に白黒写真は発掘され、私も武道館を取材された方から白黒写真を譲ってもらったりして、(残念ながらアリーナ最後尾からのステージ写真 or バストショット(顔アップ)の両極端のみで機材オタク的検証には役立てず。でも物凄い貴重な写真!)、更に驚くべきことに海外でも、この時代のステージ写真は未だに皆無なのです。(2010年夏現在) たぶん黒っぽいのですが、確証なし。 で。GFR視線ではなく、Ludwig視線で検証すると、この時代は1983年にLudwigの工場が引越しする直前の、いわゆるヴィンテージラディックと呼ばれる“最終型”であり、当時はドラムの深胴化(太鼓の筒部分が長い方が音がボウーンって良く鳴る、音がでかいと信じられ、どんどん缶ビールみたいなデザインになっていく)が主流でした。 筆者はドラマーではないので、今でも詳しい事はさっぱり分かっちゃいないのですが、当時は根性とテクとチューニング技術とパワーでデカイ音を出すという考えより、深胴さえ使えばジョンボーナムやドンブリュワーになれる!とかって、多くの日本人が信じてたように感じていました。←素人イメージ(しかも当時はガキ)につきノークレームにて(笑) 言っておくがな。標準胴(←浅胴と呼んだ時点で間違い) じゃなきゃ、ボンゾにもドンにもなれんぞ。 これは正にその時代の、メイプル木目が美しい“深胴”のドラムセットです。 正に武道館公演でドン大先生が御愛用された時代の、ドラムセットです。 サイズは、'24バスドラ、'14タム、'16 と '18のフロアタムです。
ロックドラムサウンドは、ラディックにより洗練され、そして進化し、ここに辿り着いたのかっ!っていう説得力が、この深胴ドラムセットから放たれるBIGなサウンドには、みなぎっています。 Keep it, Shinin' On !!やっぱり、Ludwig のヴィンテージドラムには、ハードロック・ファンの魂を揺さぶる「何か」が確かにあります。 最後に。 「オレの使用ドラムはラディック! 日本のドラムメーカーとエンドースも求めているけど。」 って、えーっ!そんなぁ〜。(爆) ≪後書≫ 更に。この美しいドラムセットを今日まで大切にメンテナンスしてくれた、 |