2014年暴走機関車の旅

第 I 章 “クロスロードの奇跡”

written by Eiji Farner


これは2014年の夏の旅行記です。

ちょうど一年くらい前に、マークファーナー尊師がペースメーカーを埋める心臓手術を受けたことが発表され、ああ、これでもうあの強烈なパフォーマンスを見ることはできないんだと大きなショックを受けたのですが。。。

今年の春先にアメリカの大親友、マークパワーさんから届いたメールは驚愕驚喜の内容が書いてありました。

Mark Farner is Back,

エージの神は帰ってきた。
今年の夏の「HAPPY TOGETHER」フェスティバルに参加して、
そのイベントの全米ツアーはもう始まっている!
このカリフォルニアに来るのは7月だ。
すぐに飛行機のチケットを買うんだよ。
宿泊はウチに泊まればOK、あとは全部任せておいて。


脳裏をヨギったのは、いまから4年前の2009年3月に
マークパワーさんの住む町で起きたTemple Cityの奇蹟。


 

http://grandfunk-maniac.org/eijifarner/meetmessenger2.html

こんなにも素敵な景色をミスミス体験しそこなった経験から
学んだのは、躊躇に対する後悔でした。なので即決即答です。

「ボクは、貴方に会いにロサンゼルスへ行きます。」


あれ?2011年に 『EggManの奇蹟』 と名付けたアメリカ旅行に
向かう決心をしたときも、「後悔したくない!」って
家族を説得したんだったっけ。もう使えないかな。。。この手。(笑)

 

http://grandfunk-maniac.org/eijifarner/egg-man/003.html


とまあ、出だしは威勢よかったのですが。

ここからいつもの漫画みたいなドタバタ劇場が始まったのは
当サイト常連様には御察しのトーリ。(^^;;
お暇な方は、ボクがこの夏に体験した信じられないような奇蹟と
ハプニングだらけの旅行記を読んでみてください。




THE BRAVE HEART
 

で。出発の夜。
いつものことながら。何故かひとり旅となると、家を出て近所の慣れた道を駅に向かって歩き出した瞬間から、オカシナ不安に包まれるワケです。
ああ、狙っている電車に乗り遅れたら、ああ、電車の中で寝過ごしてしまったら、ああ、電車に荷物を忘れてその中にパスポートが入ってしたら。。。etc,


飛行機が夜中に出発する便なので、出発地となる最寄駅の
ホームもガランと。 で、増々不安に。(笑)

で、歩くスピードがだんだん早くなり、すいてるのに立ったまま、重くても荷物は肌身離さず。みたいな、日本国内ではほぼ必要ないような緊張に追われて、空港に着いたときにはすでにグッタリ。(笑)
20〜30分程度しか要してないのに、すでにオカシナ達成感すらあっちゃったりして。
いやまてよ。空港がいちばんスリや置き引きのタグイが多いらしいぞ!と、我に返ればまた緊張の続き。

ようするに、ワタクシひとり旅体質ではナイんですね。

いつもは自称、暴走機関士とか名乗ってるんですけど。

中身は、こども暴走機関士。(笑)

やましいモノは持ってないのに空港カウンターに荷物を預けてはドキドキ、飛行機の隣の席が外人なだけでドキドキ、機体が浮き上がってはドキドキ。こんなんでロスの空港着いて、もしマークパワーさんが居なかったらどうなるんぢゃ!って、考えかけては、考えないように暗示をかけ。(笑)

「お前はマークファーナーを見に行くんだ!アメリカに行けば、アメリカに住んでいるマークファーナーに会えちゃうかもしれないんだぞ。」って。(こどもだ)

やがて機内食が出てきて、生き抜いていくためには食わねば!って、よくわからない観念に襲われつつ食べようとしたら。。。あれ?

蕎麦が凍っててカチカチで食べられない。どうやら冷蔵庫の一番下の段に置かれていたトレイのようで、隣の外人さんはチョップスティックを上手につかってツルツル食べてる。

うーん、スチュワーデスさんに言おうか。。。あ、今はCAって言うのか。。。危なくバカにされるとこだった。。。でもCA物語っていうタイトルのドラマじゃ視聴率上がらないだろ。。。ああ、今は関係ないな。。。蕎麦くらいでケチケチ文句言うなよって思われるのかな。。。あ、CAさん近く来た!あれ?日本人じゃない。。。せっかく日本の航空会社にしたのに。。。お。日本人CAさんだ、よし、こっち来た!

「お済みでしたらお下げします。」

「はい、ごちそうさまでした。」(爆)

いやね、そんなにおなかすいてなかったんですよ。ほんとほんと。
蕎麦くらい、いいんですよ。
これからマークファーナーに会えるかもしれないんで!


なんだか最初は威勢よく出発したんですけどね。周りの友達にも「マークファーナーに会えちゃったらどうするよ、エージ君」なんて冷やかされ、(みんなこどもだ)よぉし、行ってくるぜい!みたいなカンジだったのが。。。

で、消灯して毛布にくるまって、シールドされた窓をちょびっとだけ開けて外を見たら、目の前に。
この日“スーパームーン”と報道されていた巨大な満月が!


眼下の海も夜空も真っ暗なのに、強烈に照らす月灯りを眺めながら、ようやくここで気づいたワケです。

こぉんなチキンハートでは、“運気”は逃げてしまうぞ!オマエはこれから巨大なアメリカ大陸に降り立って、あの、マークファーナーを見に行くんだ!マークファーナーに会えるかもしれないチャンスが巡ってきたときに、そんなことでどうする!ここから先、もう2度と、躊躇して後悔するような行動をとっては、

絶対にダメだ! ←蕎麦、後悔してんじゃん(笑)

つまり凍った蕎麦のおかげで持ち前のブレイブハート(←嘘。あと先考えないだけ。)を呼び起こすことができたワケ。
で、食ってない蕎麦には感謝できないので、凍らせてくれた全日空に感謝してたら、

「窓のシールド閉めてください。」 byさっきのCAさん。(笑)

ぜったい帰りは蕎麦食うからな!
凍ってたら交換させっからな!



で。アメリカ入国審査では、毎回おなじみとなった会話です。
今回は巨漢の黒人女性審査官。

「来た目的は?」

「ロックコンサートを見にきました!」

「へえ。誰の?」

「MARK FARNER of GRAND FUNK RAILROAD!

do you know Grand Funk?」

「I don’t know。。。」

「そりゃ問題だ。」


「あなたは問題ないわ、コンサートを楽しみなさいね。」

ロスの空港に着くと、到着ロビーの通路にデカデカとオバマ大統領の顔写真が貼ってあって、ようこそアメリカ合衆国へ!みたいなカンジになってるんだけど、その前に審査官に自国の誇るべき歴史の勉強を!

で。ゲートを出ると、もうね。会いたくって会いたくって会いたくって仕方なかった大親友のマークパワーさんがいつものように待っていてくれて。
この時点で一回泣いちゃうのね。いつもなんだけど。


で、初日。
到着したのは夕方だったので、まだ時間あるし、行きたかったトコへ連れて行ってもらいました。



1ヶ月前にアメリカに移住した、大親友のジミー桜井さんの新居です。

トリビュートバンドの究極の姿をボクに示してくれて、今も夢に挑み続ける親愛なる最強オタク!(^^)

渡米が決まったとの報告をくれたんだけど、余りの御多忙でとうとう出発前に日本では会えずじまいでしたが、ここアメリカの巨大な大地の上でなら、時間は日本とはケタ違いにゆっくりと進むので、そーだ。アメリカに行ってから会おうよ!ボクが会いにいくからさ。って約束していたのです。

聞けば既に1万人以上ものオーディエンスを前にしてのライヴを経験し、数千人規模の会場をSold Out にする動員力をもって全米各地の都市をツアーしていて、偶然にもこの日だけ家に居らしたという、神様の計らい。

 

そしてボクにはひとつの期待がありました。
今春、長年勤めてきた教師の仕事をリタイアして自由な時間を得た大親友のマークパワーさんと、まだロスに知り合いも少ないであろう桜井さんが、仲良くなってくれたら嬉しいぞ。と。


これは市から授与された教師の卒業証書

2人ともヴィンテージ楽器の知識は“最強AAA+クラス”だし、親切で真面目で音楽へのリスペクトに溢れている処も共通しているし、なんてったってボクの大好きな2人が、せっかく同じロスに住んでいるんだから、ね。


で。これは後日談なんですが、ボクが帰国した数日後に、桜井さんが友人から紹介されて訪問したギター工房が、偶然にもマークさんの御友人で前回2011年にボクも訪問したトオルさんの工房だったという。

 
この写真は2011年に工房を訪問したときの写真

で、更にビックリしたのは、桜井さんが訪問したら、そこに偶然マークさんが居合わせて、もうそこに居た全員ビックリの再会になったんですって。
トオルさんの工房とマークさんの家と桜井さんの家は、同じロス市内といってもけっこう離れているのに!ですよ。

これは御縁があるんですよ!って、その後日、桜井さんがマークさんの家を訪問して、マークさんの素晴らしいヴィンテージギターコレクションを堪能したそうです。

 

 

   

 

 



これは今回撮影させてもらったマークさんのコレクション。
もちろん氷山の一角にすぎません。

ボクの期待していた光景が、
ボクが帰った後のロサンゼルスで実現してくれていたワケです。

今ではマークパワーさんが桜井さんのツェッペリン・トリビュートバンド、


http://www.zepagain.com/

のコンサートに足を運んだり、親交を深めているそうで、
その報告を聞いてボクもまさにHAPPY TOGETHER なのです。

そんな奇蹟が起きるとは、このときはまだ知る由もなかったボクですが、

翌日いよいよ。


復活したマークファーナーのライヴを見るために、
ロサンゼルス郊外のRIVERSIDEという町に向かいました。



これは出発の朝の風景。そして一路。。。







CLOSS ROADの奇蹟

到着したリバ―サイドは静かな田舎町でした。特に観光施設もないようで観光客らしき姿も見当たらず、まして日本人など居そうもありません。
ここでロックコンサートを開催して、果たしてお客さんは来るのか?という懸念など、「遂にマークファーナーが見れる!アメリカ中から観客が押し寄せるに違いない!」という妄想に押しやられ。



で、会場となるシアター(古い映画館風の劇場)の周囲をぐるぐる、
落ち着きない犬のように歩きまわり。(笑)

 


青いバスはシアター裏の駐車場に停まっていたツアーバス。

これに乗って全米をツアーしてるのかぁ、マークが乗ってないかなぁ、降りてきてくれないかぁって眺めてたら、怪しまれて(笑)警備員さんに話しかけられ。
で、全ての人と、入管審査と同じ会話をするボク。
「知らないの!?あなたに必要なのはアメリカの偉大な歴史を勉強することです。」って。(笑)

町で唯一の高級ホテルの周囲も「ここにマークファーナーが宿泊してるのかな〜」ってぐるぐる。
それをニコニコしながらつきあってくれるマークパワーさん。
こども暴走機関士犬、リバーサイドに現る。で、はしゃぐ。みたいなカンジです。


リバーサイドホテル〜♪

いやいや、ぜぇったい、なりますって。みなさんも。
(え?ならないの?)

会場となるシアターはかなり歴史のありそうな厳かな佇まいに、
いまどきのLED電光掲示板という。


町の中心部の大きな交差点“CROSSROAD”のカドに建つシアターを、クロスロードの対岸から長い時間眺めていたのですが、その間もマークパワーさんは、ニコニコと待っていてくれて。

「あの中にマークファーナーが居るよ、今頃サウンドチェックしてるよ。きっと最高の演奏を見せてくれるよ。」と、ボクを焚き付けてちょっと笑うマークさん。

そして、遂に!

この瞬間が!




エキストラチャージを払うと最前列の席が買えるシステムなので、食費節約してジャンクフードしか食べてないボクがGETした席は、最前列のど真ん中!

たったの1メートルの距離で、マーク尊師が歌い、次の瞬間ステージ縁ギリギリまで前に出てギターソロを弾くマーク尊師は、目の真50センチ!


最前列に座っているマークさん。

この白い線ギリギリまで出てきて弾きまくるんです。

スッと手を前に伸ばせば、マーク尊師の足に触れてしまう距離で、
ピックと弦が擦れる音までが聴こえてくるのです!

ほんとうに気絶しそーでした。。。。泣いたし。

なぜなら、3年ぶりに見るマーク尊師のステージは、、、、


ほんとうに凄かったから!!!!!!

 

去年、心臓にペースメーカーを埋めた65歳のマークファーナーが、広いステージの隅々まで、走る!走る!走る!

もう頭から滝のように汗を流しながらの、衝撃のパフォーマンス!

歌っているときだけマイクスタンドに向かい、それ以外の全ての間奏、短い間奏であれ、イントロであれ、常にどこかに走って行って、歌までにサッと戻ってくるのです。
最も体力を消耗する歌ですが、歌いながらも大きくステップを踏み、全身が躍動しているので、いったいいつ休むのか?って思ったら、休んでいるのは汗をタオルで拭きながらMCを話している時だけで、もうずーっと飛ばしっ放しという凄まじさ。

もうすぐ66歳ですよ!

ペースメーカー術後ですよ!


凄まじいエネルギーを放ち、
Some kind of Wonderful を熱唱するマークファーナー

15歳も年下で幸いにもこれといった持病もないボクは、怠けたい気持ちに鞭打ってライヴが近づくと筋トレをして(ちょっとだけど)、グランドファンクのトリビュートバンドを必死に演っているのですが、こんなにも凄まじいパフォーマンスは今現在も出来ていないし、今から15年後にマークファーナーと同じ歳になったときに、果たして。。。って考えると、目の前のマークファーナーの繰り広げるパフォーマンスの凄まじさの「意味」に打ちのめされてしまうのです。

66歳のミュージシャンはたくさん居るけれど、ガッツリとギターを弾きながらセンターで歌ってギターソロを弾いてまたすぐ歌うという事がいかに休む間がないかを知る者にとって、しかもそれが20歳の頃に演っていた「ハードロック」であって、当時のままのKeyでシャウトし、当時のままの勢いで、大音量で、エネルギーを発散させて演奏しているのですから。

これこそが、世界中の誰も成しえていない「奇蹟」であり、
ボクはそれを50cmの距離で体験しているのです。


ね。泣くでしょ。

ボクの神様、マークファーナーは、

ほんとうに凄いんです。

過去も、今現在も。


その神様と。


終演後に、ボクの人生最大の奇蹟が起きたのです。

御存知の通り、機材オタクのボクは、この日のマーク尊師の足元に並べられた新しいペダルボードに日本では見慣れないペダルを見つけたのでした。なにせ目の前50cmの距離ですから。これがその写真。




そして当然ですが、使っているアンプのセッティングにも
興味深々です。



この写真を見て、「お?」って思った方、居ますよね。ね。ね。

どこにでもあるFender Twin Reverbアンプなのですが。。。左右のチャンネル両方にプラグインされているのです。

床に這っている15メートルくらいの長〜いケーブルを目で辿っていくと(なにせ50cmなので)、ぬわんとコーラスペダルのステレオアウトから出力された2本のケーブルが、Twin Reverbの左右チャンネルにつながっています!

え?Twin Reverbってステレオアンプじゃないだろ。
左右のチャンネルは音色の違いで“選択”するものであって、中の回路はひとつだから、右につないでも左につないでも、入り口が違うだけで、出口は同じ回路を通るんだから、ステレオにはならないハズ!

まさか、回路を2台分搭載するというウルトラ凄い改造がされているのか????

そおいえば、マイクも左右のスピーカーに1本ずつ立ててある!

でも、ボクの耳には、まったくステレオ的効果は感じ取れなかったぞ! (なにせ50cmなのでアンプの生音も聞こえていましたので。)

え?え?え?

なんなの、マークファーナー!!!



と。この興味が。

チキンハートだったハズの、こども暴走機関士を駆り立て、
大胆な行動へと導いたのでした。

イベント終演後に手際よくマーク尊師の機材を片付けるローディさんに、「すいませーん、教えてくださーい」って質問したのです。
最前列なので出来た芸当。(笑)

忙しそうだし、質問はひとつ。

見たことないペダルを教えてもらうか、どこにでもあるTwin Reverbアンプのセッティングを教えてもらうか。。。

で、今の時代はNet検索すれば見慣れぬペダルの正体は分かるだろうと判断し、アンプの質問です。

「コーラスペダルからのステレオアウトが左右のチャンネルに
プラグインされていますね。
そのアンプはステレオに改造してあるのですか?」

「いや、アンプは改造してないよ。でもマークはこうするんだよ。
でも君、よく気が付いたね。」


「あ、ワタクシ、昨日、日本から、このコンサートを見るために来た
大ファンでして。」

「ワオ!日本から?昨日?それで、このリバーサイドまで来たの?」

「はい、ボクは日本で時々、プロミュージシャンの友人を手伝って、
あなたと同じWORKをしてるんですが、あなたの作業手順は見事で、
とても勉強になりました。
素晴らしいコンサートを作ってくれてありがとう!」

「そんな風に御礼を言われたことないぜ。いや、ちょっと待ってろ。
マークを探してきてやるよ。居なかったらゴメンだけどな。」

って、言い残して、撤収作業を止めて、ぬわんとマークファーナーを探しに行ってくれたのです。

思ってもいなかった展開で、もう会場に残っている客は誰も居ないし、マークパワーさんも係員に外に出されてしまい、ボクひとりだけ。

つまり、ボクのでたらめ英語をちゃんとした英語に通訳してくれるマークパワーさんが居ないんです!(滝汗!)

巨漢の警備員が「君も出ろ」と声をかけてきて早速タジタジしてたら、近くで先程のヤリトリを聞いていた別のスタッフさんが、「彼はそこでマークファーナーを待っているんだ。日本から来たんだぜ。いいんだ。もう少しだけ待たせてあげろ。今、呼びに行ってるから。」って言ってくれて。
「日本からこの町に?ワオ!会えるといいな!」って巨漢の警備員さん。

そしたら。。。マークファーナーが!


さっきのローディさんと一緒に!


「彼だよ。」って
ローディさんがボクを指さしたら、
ニコって笑ってくれて、

「ああ、彼か!彼を知っているよ。
やあ、また会えたね。来てくれたんだ!」
って。

「え?ボクを。。。憶えて。。。」
(もはやうまくしゃべれない)

「Of course. I Remember You!」


もうね、
おいおい泣きますよ。こどもみたいに。
泣くに決まってるでしょ。(笑)

だって、アイ・リメンバー・ユーですよ!

で、ウッ、ウッってなってる、そんなボクを、、、ガシって。


ハグしてくださって。

スタッフも警備員さんも、その光景を拍手で祝ってくださって。

2011年にも同じような奇蹟体験をさせてもらったのですが、その時はマークファーナーの大親友、ボクの大親友でもあるSohnさんと偶然&運良くサンディエゴのライブ会場で合流できて、彼のサポートがあったからこそ奇蹟を導いてもらえたのですが、今回は出発の直前に電話があり、 「残念、今回は行けそうにないよ。マークに会えたらよろしく伝えてね」と。

いやいやいやいや、ボクはマーク尊師の携帯番号知らないし、会える保障はないし、テカ、会えないでしょ。普通。って。


で、マークファーナー尊師に、それを伝えたら、
「彼は元気なんだね。先週電話をもらったよ。君が今回のツアーを見に来るのを聞いていたよ。でもどこの会場に来るのか知らなかったからね。リバーサイドだったとはね!」って。
で、ここで正気に戻り、お伝えしなければならない事を話しました。

出発の直前に、ボクの手元に届いた、
ロックジェット vol.57号



この というサイトでの活動と、
トリビュートバンド
紹介してもらった記事が載った雑誌を、編集者の四海さんが
ボクの自宅宛てに送ってくださったのです。

この本が出版された事を共に祝ったバンドメンバーみんなが、HAPPY TOGETHER、喜びを共有して、そんな彼らが言ってくれたのです。

「アメリカに行くのに、このタイミングで本が出版されたのはさ、この本を持って行くっきゃないっていう事でしょ。ここに書いてあるエージ君のやってきた事をマークに見てもらうんだよ。つまり、会えちゃうんじゃない?マークファーナーに!」って。

で、みんなに会える会えるって言われて、すっかりその気になっちゃって(笑)、カバンに忍ばせ持ち歩いていた本を、恐る恐るマーク尊師に差し出し、切り出しました。

「私はあなたに報告しなければならない事があります。私は大好きなグランドファンクの研究サイトをやっていて、トリビュートバンドもやらせてもらっています。それらの活動が、つい先日発売された日本の雑誌に取り上げられ、私はそのインタビューの中で、あなたとのエピソードを語り、あなたと一緒に撮った写真を提供しました。事前に貴方の承諾を得るためにSohnさんに相談したら、彼は問題ないよと言ってくれました。 あなたはそれを聞いていますか?」


「Yes, 私は彼から報告を聞いているし、
それは素晴らしい事だと言ったよ。」


で。当然、ここで、また泣くわね。

で、その本に。



今回、もしマーク尊師にお会いできたら、またメッセージとなるサインを頂きたいな。と思っていました。

なぜならば、いままでに頂いたサインには必ずメッセージが添えられていて、そのメッセージは毎々、必ず、ボクやボクの周りの友人達に大きな意味をもった「奇蹟」を実現させてくれることを何度も何度も体験してきたからです。

ボクが1988年に、最初にもらったサインには、「God Bless, Eiji」と添えられていました。
左手人差し指を失いかける大怪我を負っていた当時、このメッセージによって再びギターが弾ける人生を与えてもらいました。


http://grandfunk-maniac.org/mark/Impact.htm


そしてその御礼を伝えたくて1997年に
遂に御本人とお会いできた時のサイン。


当サイトのロゴマークに標された「BELIEVE」こそ、この時マーク尊師が与えてくれたメッセージであり、この暴走機関車サイトで次々と起きる「奇蹟」の最初の出発駅だったのです。



で、悩むワケです。何に書いてもらおう。。。と。

まあこどもなんで、出発前に会える前提で考えてるというか、会えるかも〜っていう妄想が日々膨らんでしまうというか。(笑)
で、考えに考え抜いていたら、ハタと。

あ、この本にサインを頂けたら、なんて素敵な事だろう。って気づいたのでした。


取材と執筆をしてくれた四海さん、それを推してくださったグリコさん、ボクよりもグランドファンクが大好きで一緒に苦楽を共にしてくれ、我が事のように喜んでくれるバンドメンバーのセイシローさんとエリチャンと。

全員分のサインをもらうことはできないけれど、この本にサインをもらえれば、ボク達のやっている活動やそれを応援してくれている“みんな”にマークファーナー尊師が“署名”してくれたという意味を持つワケで、

つ・ま・り。

このオタクサイトを楽しんでくれている
総てのグランドファンク・ファンへの

これはマークファーナーからの署名なワケで!(≧▽≦)




本が出版されたのも、その本が旅の出発に間に合ったのも、
そこにサインが頂けたのも!

総ての出来事が偶然であって、その“奇蹟のRAILROAD”の上に、
これを読んでくださっているみんなも一緒に乗っているという。


ね。子供の頃のあだ名がMAGIC MARKIE だった、マークファーナーの
起こす奇蹟は、ほんとうに起きるんですよ!


で。あとはもう記憶が錯綜しているのですが、
これだけは自分用にちゃっかりしっかり。(笑)

 

愛用のL-5Sサウンドがやたら良くなったのは、言うまでもありませんっ!




で、嬉しくってライブで自慢しちゃって。




そ・し・て、

ボクの背中を押してくれたバンドメンバーへのお土産はコレ。

 

ぬわんと、いちばんプレゼントしてあげられたらと思っていた
お土産が、ちゃんと。(≧▽≦)

で、「明日のサンディエゴも明後日のロサンゼルスも見に行きます!」ってお伝えして、スタッフの皆さんにもお礼を伝えて、さっきの警備員さんに付き添われ誰も居なくなったシアターの正面玄関から外に出たら、時間はすでに夜中の12時。。。このトーリだあれも居ません。

で、そこにはひとりポツンと、マークパワーさんが待っていてくれて。

「マークファーナーに会えたんだね。よかったね!」って。

あの警備員さんが、「君の友達は今、マークファーナーと話をしているよ。はぐれないよう、ここで少しだけ待っててあげなよ。」って言いにきてくれたそう。
ここでまた、泣くでしょ。くぅ〜。。。

で、人も車も居なくなった夜中のクロスロードに、しばらく呆然と立ちすくみ。 いま起きた出来事を何度も何度も思い返しながら、このリバーサイドまでの道のりを想い起こして。
マークさんは何も言わずに、それにまた付き合ってくれて。
ここで何故かフト。突然、クロスロードの歌詞が頭に浮かんだのでした。

I went down to the crossroads, fell down on my knees.
Down to the crossroads, fell down on my knees.
Asked the Lord above for mercy, "Save me if you please."

Going down to Rosedale, take my rider by my side.
Going down to Rosedale, take my rider by my side.
You can still barrelhouse, baby, on the riverside.

EクラプトンがCREAMで歌い、ROCKのバイブルとなったこの曲は、クロスロードに立ち、どちらの道へ進むか自問自答した主人公がリバーサイドに建つ家での安定した生活から逃げ出し自由の旅に出る、つまりクロスロードで悪魔に魂を売った。と翻訳されています。

で、ボクの場合。

リバーサイドのクロスロードで。

魂を“こちら側”に導いてもらえて、
今、ここにこうして居られるんだな。って。

「マークさん、家に帰ろう。
このクロスロードでボクは進むべく道に導いてもらえたよ。
悪魔に魂を売ったりしないよ。
ボク達の歌は、クロスロードじゃない。
Closer To Home だ!」

これね、日本でコンサート見た後に日本語で友達と交わしたら恥ずかしくて滑稽になっちゃうけど、あのリバーサイドの誰も居ない交差点の街路灯の下で、英語で言うと普通に言えるんですよ。

「Yes, I’m getting Closer to home!」って。



とまあ、ここまでで人生の運を使い果たしたかのように、
既に全ての願いが叶ってくれた今回の旅行ですが。

はい、まだアメリカに着いた翌日です。(^^;;

まだ滞在は3日もありますし、
マークファーナーのコンサートは3夜連続。

つまりまだあと2回も見れるのです。





そして翌日も気絶しそうな美しい体験が待っていました。


第 II 章 “サンディエゴの奇跡”



Witten by Eiji Farner

 

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